思わず身を乗り出す話
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阪神・淡路大震災発生当時、私が住んでいた地域は比較的被害の少ないところでした。甚大な被害にみまわれた方々がいる中で、私がお話しできることは限られているかもしれません。でも、もし私にお伝えできることがあるなら、震災から20年をむかえた神戸のこれからの在り方など、未来にむけたことになるかもしれません。
震災が起きた当日、家族とともに救援物資を持って私の生まれ育ったまちでもある長田へ駆けつけました。長田周辺の被害を目の当たりにしたとき、私も被災者のひとりでありながら、どこか部外者のような気持ちになったことを覚えています。
部屋の名前は「F501」といい、以前からよく出入りしていたんです。インターネットにアクセスしてみると、国内外からの支援を希望する方々の情報が続々と掲載されていました。せっかく情報を収集できる環境にいるのだから、この情報を活かして何かできないだろうかと友人たちと話し合い、震災から半月後の2月初旬におこなわれた学部の集会で呼びかけてみたんです。300人ほどの学生に「F501で、一緒に活動しませんか」と声をかけたところ、およそ30人が協力したいと申し出てくれました。
「IVN神戸大学チーム」という組織を立ち上げ、私を含めた4~5人ほどが寝袋を持参して泊まり込みました。インターネット上に掲載された炊き出しなどの支援状況をはじめ、神戸市がファックスで発行していた「あじさいネット」に掲載されている情報などを編集して印刷し、避難所などの掲示板に掲出したり、被災地で求められている物資や避難生活の状況などをインターネット上で共有するなどしていました。
世界中から駆けつけてくださった尊敬できる先輩たちに囲まれて、支援活動のお手伝いをさせていただきました。7月には、分科会として「震災・活動記録室」を立ち上げ、支援活動を後世に残す活動に専念しました。その記録の一部は現在も、神戸大学付属図書館の「震災文庫」で公開されています。
さまざまなご縁があって…現在勤めている神戸デジタル・ラボの代表取締役、永吉一郎に出会いました。彼の考えに共感して、すぐに入社を決めたんです。震災の経験をしたからこそ、なんらかのかたちで社会に貢献したいんだという想いを告げると「企業も利益をあげれば、地域に還元できるはずだ。現に神戸デジタル・ラボは、その利益で文化的事業や震災復興事業を応援している」と言ってくれて。それまでは、NPOやボランティアでなければ社会貢献できない、という思い込みにとらわれていたのでしょうね。そのひと言で、一気に視野が広がりました。
東京や大阪で開催されているIT関係のイベントなどに行くと、必ずと言っていいほど、とがった考えやアイデアを持っている、神戸出身のおもしろい方々に出会いました。けれど、神戸で彼らと会うことはなかった…。神戸では、一堂に会する機会がなかったんですよね。だったら、自分ではじめようと思い、コンピュータプログラムやソフトウェアの元になる文字列である「ソースコード」を一般的に活用してもらうための、オープンソースの今を伝えるイベント「オープンソースカンファレンス」を2010年に初めて実行しました。
コアなファンは、もちろん大切です。さらに、地元の方々など一般の人たちにわかりやすいものでなければ、神戸になんらかの利益を還元することはむずかしいと考えました。そこで、音楽のほか、コンピュータやセンサーを使って見る者の動きや熱などに反応するようにつくりあげたインタラクティブアート、子ども向けのプログラムなどを盛り込んだイベントにしたところ、大勢の方にご参加いただいて、とてもよろこんでいただけたんです。
神戸が持っているポテンシャル(潜在能力、可能性)をもっと活かすことができるのではないか、と常に考えていました。すばらしいコミュニティが多数あるにもかかわらず、あまりつながっていないところも気になっていて。だから、いまや誰もが使うであろうITを利用して、神戸の人々をつなぐことができるのではないかという想いもありました。5年間続けている「神戸ITフェスティバル」には、神戸におられるすごい方々や東京のイベントでもなかなか交流できないような方々に、ゲストとしてお越しいただくなどしています。
また、手前みそですが「神戸ITフェスティバル」の盛り上がりや神戸医療産業都市、スーパーコンピュータ「京」の開発などが追い風となり、2015年にコンピュータグラフィックスの祭典「SIGGRAPH ASIA(シーグラフ アジア)」が、日本では6年ぶりに神戸で開催されるんですよ。
ご縁があって、「TEDx」を神戸で行いたいという方からご相談があったんです。私自身もTEDには以前から興味があったので、いろいろと協力させていただく中で、最終的にオーガナイザーとして「TEDx」のライセンスを取得することになりました。「TEDx」には、これまで展開してきた「神戸ITフェスティバル」とはまた別の可能性を感じたんですよね。スピーカーは、誰にでも理解できるよう、わかりやすくプレゼンテーションをおこなうので、誰もがアイデアを聞いて、それを持ち帰り、それぞれの分野で活かしてもらえると思ったんです。
これまで、多くのイベントを手がけてきましたが、オーガナイザーとして「ありがとう」と言われる機会は、なかなかありませんでした。けれど、「TEDx」では参加者だけでなく、登壇してくださったスピーカーのみなさんにも感謝していただけて…本当にうれしかったですね。
「TEDxSannomiya」だけで終わることなく、どうしても「神戸」という冠を掲げて開催したいと考えました。やはり、阪神大震災を経験したまち「神戸」としてやらないといけないと思ったんですね。そこで、「TEDxSannomiya」が終わった翌週に、カナダのバンクーバーで開催された「TED 2014」の併催イベント「TEDActive 2014」に参加し、本場の雰囲気を実際に体感してきました。そこで、「TEDx」のライセンスマネージャーをご担当されている方にもお会いして、Kobeとして開催したいという思いを伝えた結果、2014年6月にようやく「TEDxKobe」のライセンスを取得することができたんです。
「TEDxSannomiya」にスタッフとして関わってくれた学生さん、「神戸ITフェスティバル」も一緒に手伝ってくれているメンバー、さらにビジュアルや空間デザインを担当してくれるデザイナーやアーキテクト(建築家・設計者)など、大勢の人たちがこの活動に感銘を受けたと言って協力してくれたんです。「TEDxKobe」が神戸をつなぐメタコミュニティに育っていけばいいな、と思い活動を続けています。
阪神・淡路大震災との向き合い方は、人それぞれに異なります。違いは、あって当たり前。むしろ、それでいいと私は思っています。そのうえで、共にその壁や過去と向き合うことで、自分自身やお互いを理解しあう機会になればいいなと考えたのです。
最近、コミュニティについて再考する機会があって。コミュニティという言葉の語源をたどっていくと、「com(お互いに)+munus(おくりもの)」という意味になるんです。お互いに違っているから与え合い、つながり合うのがコミュニティ。双方の異なるアイデアを共有することで多様性が生まれ、真の意味でつながりのあるコミュニティが生まれるのではないかと思いました。今の神戸にも多様なコミュニティがあり、「多文化状況」は存在しています。ただ、それぞれが関わりをもたないまま交わる機会が少ないのではないかと。それぞれのコミュニティが交わる点を少しずつ増やし、風通しをよくすることで「多文化状況」を「多様性」のある状況に昇華していけたらいいなと願っています。