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思わず身を乗り出す話

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「神戸に、多様性のあるコミュニティをつくりたい」と、新しい活動を巻き起こしていく。舟橋健雄さん

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阪神・淡路大震災から20年をむかえた、神戸のこれから

2014年3月に、価値あるアイデアを広めて共有することを目的とした「TEDxSannomiya(テデックス三宮)」を開催し、スピーカーや参加者からも大好評を得た舟橋さん。他にも、地域とITを結ぶ神戸最大級のITのお祭り「神戸ITフェスティバル」を行うなど、神戸のまちで数々の新しい取り組みを仕掛け続けています。
阪神・淡路大震災発生当時、私が住んでいた地域は比較的被害の少ないところでした。甚大な被害にみまわれた方々がいる中で、私がお話しできることは限られているかもしれません。でも、もし私にお伝えできることがあるなら、震災から20年をむかえた神戸のこれからの在り方など、未来にむけたことになるかもしれません。

慎重に言葉を選びながら語りはじめた舟橋さんは、阪神・淡路大震災が発生した当時、神戸大学の2回生で2日前に成人式を終えたばかり。神戸市北区の自宅は被害が少なかったものの、被害が甚大だった長田区に親せきや知人が多く住んでいたといいます。
震災が起きた当日、家族とともに救援物資を持って私の生まれ育ったまちでもある長田へ駆けつけました。長田周辺の被害を目の当たりにしたとき、私も被災者のひとりでありながら、どこか部外者のような気持ちになったことを覚えています。

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大学有志ではじめた「情報ボランティア活動」

舟橋さんが所属していた神戸大学国際文化学部は、情報通信を学ぶ「IT教育」に力を入れており、当時はまだ一般的に普及していなかったインターネットへの常時接続環境と、マッキントッシュが20台以上も設置されたコンピュータルームがあったといいます。
部屋の名前は「F501」といい、以前からよく出入りしていたんです。インターネットにアクセスしてみると、国内外からの支援を希望する方々の情報が続々と掲載されていました。せっかく情報を収集できる環境にいるのだから、この情報を活かして何かできないだろうかと友人たちと話し合い、震災から半月後の2月初旬におこなわれた学部の集会で呼びかけてみたんです。300人ほどの学生に「F501で、一緒に活動しませんか」と声をかけたところ、およそ30人が協力したいと申し出てくれました。

阪神・淡路大震災が発生した1995年は、学生や会社員など、それまではボランティア活動に縁がないと言われた人々が復興支援活動に携わり、日本におけるボランティア活動の歴史を大きく変えた「ボランティア元年」と呼ばれています。1995年はさらに、インターネットの飛躍的な普及を背景に情報が行き交った「情報ボランティア元年」と言える、画期的な年でもありました。
「IVN神戸大学チーム」という組織を立ち上げ、私を含めた4~5人ほどが寝袋を持参して泊まり込みました。インターネット上に掲載された炊き出しなどの支援状況をはじめ、神戸市がファックスで発行していた「あじさいネット」に掲載されている情報などを編集して印刷し、避難所などの掲示板に掲出したり、被災地で求められている物資や避難生活の状況などをインターネット上で共有するなどしていました。

この情報ボランティア活動は、大学の授業が再開する4月ごろまで続いたといいます。授業が再開してからも、ほかに何かできることはないかと考えた舟橋さんは、「阪神大震災地元NGO救援連絡会議」に参加しました。
世界中から駆けつけてくださった尊敬できる先輩たちに囲まれて、支援活動のお手伝いをさせていただきました。7月には、分科会として「震災・活動記録室」を立ち上げ、支援活動を後世に残す活動に専念しました。その記録の一部は現在も、神戸大学付属図書館の「震災文庫」で公開されています。

震災・活動記録室震災支援の記録を残すために立ち上げた「震災・活動記録室」


神戸デジタル・ラボとの出会い、神戸ITフェスティバルの開催

こうして、積極的に復興支援活動をおこなっていた舟橋さんでしたが、一度はボランティア活動から離れ、京都大学の研究室へ進学。社会に貢献したいという想いを抱いて、幅広い分野にわたって調査や研究をおこなう研究機関である京都のシンクタンクに就職します。けれど、その想いを実現できないまま、2005年、2番目のお子さんの出産を機に、神戸の会社への転職活動をはじめます。
さまざまなご縁があって…現在勤めている神戸デジタル・ラボの代表取締役、永吉一郎に出会いました。彼の考えに共感して、すぐに入社を決めたんです。震災の経験をしたからこそ、なんらかのかたちで社会に貢献したいんだという想いを告げると「企業も利益をあげれば、地域に還元できるはずだ。現に神戸デジタル・ラボは、その利益で文化的事業や震災復興事業を応援している」と言ってくれて。それまでは、NPOやボランティアでなければ社会貢献できない、という思い込みにとらわれていたのでしょうね。そのひと言で、一気に視野が広がりました。

こうして、理解ある社長のもと、自由な社風のオフィスで仕事をはじめた舟橋さんは、自主企画としてITイベントを開催することに。
東京や大阪で開催されているIT関係のイベントなどに行くと、必ずと言っていいほど、とがった考えやアイデアを持っている、神戸出身のおもしろい方々に出会いました。けれど、神戸で彼らと会うことはなかった…。神戸では、一堂に会する機会がなかったんですよね。だったら、自分ではじめようと思い、コンピュータプログラムやソフトウェアの元になる文字列である「ソースコード」を一般的に活用してもらうための、オープンソースの今を伝えるイベント「オープンソースカンファレンス」を2010年に初めて実行しました。

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イベントは大成功をおさめたものの、集まったのはオープンソースに興味のあるコアなファンばかり。「一部の人たちだけに開かれた場でいいのだろうか」と疑問を抱いた舟橋さんは「神戸のために」という強い想いを実現しようと、2011年に、神戸で初開催となる「神戸ITフェスティバル」を実行します。
コアなファンは、もちろん大切です。さらに、地元の方々など一般の人たちにわかりやすいものでなければ、神戸になんらかの利益を還元することはむずかしいと考えました。そこで、音楽のほか、コンピュータやセンサーを使って見る者の動きや熱などに反応するようにつくりあげたインタラクティブアート、子ども向けのプログラムなどを盛り込んだイベントにしたところ、大勢の方にご参加いただいて、とてもよろこんでいただけたんです。

阪神・淡路大震災が発生した当時、有志をつのって、いち早く行動に移した舟橋さんは「あのころから神戸のまちがたまらなく好きで、だから活動していたんです」と言葉をつづけます。
神戸が持っているポテンシャル(潜在能力、可能性)をもっと活かすことができるのではないか、と常に考えていました。すばらしいコミュニティが多数あるにもかかわらず、あまりつながっていないところも気になっていて。だから、いまや誰もが使うであろうITを利用して、神戸の人々をつなぐことができるのではないかという想いもありました。5年間続けている「神戸ITフェスティバル」には、神戸におられるすごい方々や東京のイベントでもなかなか交流できないような方々に、ゲストとしてお越しいただくなどしています。

また、手前みそですが「神戸ITフェスティバル」の盛り上がりや神戸医療産業都市、スーパーコンピュータ「京」の開発などが追い風となり、2015年にコンピュータグラフィックスの祭典「SIGGRAPH ASIA(シーグラフ アジア)」が、日本では6年ぶりに神戸で開催されるんですよ。

ITフェスティバル1子どもたちも気軽に参加できるイベントにしたことで盛り上がりをみせた「神戸ITフェスティバル2011」


「より良いアイデアを広める」TEDxKobe、始動

さらに、舟橋さんがオーガナイザーを務めるイベントに「TEDxKobe(テデックス神戸)」があります。TED(テッド)とは「より良いアイデアを広めよう(Ideas worth spreading)」という理念のもと、1984年から年に1度、北アメリカで世界的な講演会を展開している非営利団体のこと。学術、エンターテイメント、デザインなどさまざまなジャンルの人物によるプレゼンテーションがおこなわれており、2009年からは「TEDx(テデックス)」のライセンスを取得すれば、TED同様の体験を世界中で共有することができるようになりました。以来、およそ1万回以上、世界各地でイベントが開催されているのだとか。
ご縁があって、「TEDx」を神戸で行いたいという方からご相談があったんです。私自身もTEDには以前から興味があったので、いろいろと協力させていただく中で、最終的にオーガナイザーとして「TEDx」のライセンスを取得することになりました。「TEDx」には、これまで展開してきた「神戸ITフェスティバル」とはまた別の可能性を感じたんですよね。スピーカーは、誰にでも理解できるよう、わかりやすくプレゼンテーションをおこなうので、誰もがアイデアを聞いて、それを持ち帰り、それぞれの分野で活かしてもらえると思ったんです。

2013年6月のライセンス取得時には、小規模なプログラム「TEDxSannomiya」として活動をスタートし、2014年3月にイベントを開催。参加者はもちろん、ゲストにも大変よろこばれたといいます。
これまで、多くのイベントを手がけてきましたが、オーガナイザーとして「ありがとう」と言われる機会は、なかなかありませんでした。けれど、「TEDx」では参加者だけでなく、登壇してくださったスピーカーのみなさんにも感謝していただけて…本当にうれしかったですね。

しかし、「TEDx」のルールとしてTEDに実際に参加したことのないオーガナイザーでは100人までの小規模な開催しかできず、もっと多くの人々にアイデアを共有したいと願っていた舟橋さんは「TEDxKobe」のライセンス取得に向けて、さらに活動を続けたそうです。
「TEDxSannomiya」だけで終わることなく、どうしても「神戸」という冠を掲げて開催したいと考えました。やはり、阪神大震災を経験したまち「神戸」としてやらないといけないと思ったんですね。そこで、「TEDxSannomiya」が終わった翌週に、カナダのバンクーバーで開催された「TED 2014」の併催イベント「TEDActive 2014」に参加し、本場の雰囲気を実際に体感してきました。そこで、「TEDx」のライセンスマネージャーをご担当されている方にもお会いして、Kobeとして開催したいという思いを伝えた結果、2014年6月にようやく「TEDxKobe」のライセンスを取得することができたんです。

TEDxSannomiya多彩なスタッフに囲まれて

TEDxSannomiya2大成功をおさめた「TEDxSannomiya」。さらなるアイデアと人のつながりが生まれていく

また、「TEDx」のスタッフもひとつのコミュニティとして成長しており、将来性を感じている、と舟橋さんは語ります。
「TEDxSannomiya」にスタッフとして関わってくれた学生さん、「神戸ITフェスティバル」も一緒に手伝ってくれているメンバー、さらにビジュアルや空間デザインを担当してくれるデザイナーやアーキテクト(建築家・設計者)など、大勢の人たちがこの活動に感銘を受けたと言って協力してくれたんです。「TEDxKobe」が神戸をつなぐメタコミュニティに育っていけばいいな、と思い活動を続けています。


多様性のあるコミュニティを、神戸のまちに

阪神・淡路大震災から20年をむかえた2015年1月17日には、「TEDxKobeSalon vol.2」と題して、誰もがもっているであろう「壁」に向き合う機会をつくりました。
阪神・淡路大震災との向き合い方は、人それぞれに異なります。違いは、あって当たり前。むしろ、それでいいと私は思っています。そのうえで、共にその壁や過去と向き合うことで、自分自身やお互いを理解しあう機会になればいいなと考えたのです。

地道な活動を積み上げて、多様性のあるコミュニティを創造するために奔走している舟橋さん。お互いの知恵やアイデアを共有するさまざま活動を続ける中で、今、ひとつの願いがあるといいます。
最近、コミュニティについて再考する機会があって。コミュニティという言葉の語源をたどっていくと、「com(お互いに)+munus(おくりもの)」という意味になるんです。お互いに違っているから与え合い、つながり合うのがコミュニティ。双方の異なるアイデアを共有することで多様性が生まれ、真の意味でつながりのあるコミュニティが生まれるのではないかと思いました。今の神戸にも多様なコミュニティがあり、「多文化状況」は存在しています。ただ、それぞれが関わりをもたないまま交わる機会が少ないのではないかと。それぞれのコミュニティが交わる点を少しずつ増やし、風通しをよくすることで「多文化状況」を「多様性」のある状況に昇華していけたらいいなと願っています。

029コミュニティという言葉の語源は、com(お互いに)+munus(おくりもの)


(写真/森本奈津美 取材・文/山森彩)

舟橋健雄

神戸デジタル・ラボの広報室に所属しながら、TEDxKobe(テデックス神戸)オーガナイザー、神戸ITフェスティバルオーガナイザーを務める。阪神・淡路大震災発生当時、神戸大学の学生有志でボランティアチームを結成し、インターネット回線に接続されたコンピュータルームを利用して、インターネット上の支援情報を避難所に掲示するなど、「情報ボランティア」活動をおこなった。2014年3月に、小規模ながらも神戸初となる「TEDx」のイベント「TEDxSannomiya」を開催。2015年5月には規模も内容も拡大した「TEDxKobe」を開催予定。

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