沈黙を守ってきた、あの日から今日までのこと
現在、姫路にある兵庫県立大学のエコ・ヒューマン地域連携センターで、センター長代理を務める内平さん。同センターでは、地域の住民や市民団体、自治体、企業などの要望をもとに、大学が持つ知識や学生のマンパワーをいかしていく地域連携活動がおこなわれています。同センターは、地域にまつわることで悩んでいる人たちが次々に相談に訪れる、かけこみ寺のようなもの。今日の研究や活動に至ったきっかけは、阪神・淡路大震災を経験したことにあるのだそう。
大震災に遭遇したのは、大学時代。言葉にできないさまざまな感情がこみ上げてしまうため、震災について語ることを封印してきた内平さんは、震災から20年を迎えるにあたり、ひとつの区切りをつけたいと考えるようになったといい、今回特別に話を聞かせてくださることになりました。
大震災が発生した後、本能的に救助に走った
内平さんは、山口県宇部市のご出身。同じ瀬戸内の、おだやかな海との距離が近い神戸の大学に行きたいと、神戸大学工学部建築学科を選んだそうです。
もともと、人と関わるのが得意ではなくて…。だからあえて、人と関わること、個人に焦点をあてた建築を学びたいと考えました。僕が入学したのは、ちょうどバブルがはじけた後。建築の世界では、それまではある意味、市民(マス)を意識した都市計画がおこなわれていました。
建築学を学んでいた20歳のとき、阪神・淡路大震災が発生。当時住んでいたのは、特に被害が甚大だった神戸市灘区のJR六甲道駅近くに建つマンションの3階。マンションが1フロア丸ごと消滅したのではないかと思うほどの衝撃の後、大きな揺れに襲われました。
テレビが飛んでいく様子、家がきしんだ後に生じる独特のほこりっぽい匂いなど…起こっている事象を五感でとらえ、冷静に見つめていました。なぜか、震災のころの記憶は、すべてが青い世界なんです。
揺れがおさまると「助けてください!」という声が外から聞こえ、本能的に家を飛び出したという内平さん。JR六甲道駅は高架ごとくずれ落ち、駅舎は完全に崩壊。付近の建物のほとんどが倒壊するなど、すさまじい光景が広がっていました。
まず、まち全体を見渡して、状況を把握しようと努めました。動物的勘のようなものがはたらいて、すぐに救助に向かったんです。恐怖心はほとんどありませんでしたが、人を救助するためにがれきを掘り起こしているとき、「建物がくずれてくるかもしれない」という不安は常にありました。人がどこに埋まっているのかもわからない状況の中、僕が住んでいた界隈では高校生や大学生が中心となって、懸命に救助活動を続けていたんです。
助け出した方の中に、ご自身は助かったけれどお子さんが亡くなってしまったお母さんがおられて…。「なんで私を助けたの!」と泣き叫んでいる様子を見ているのは、とてもつらかった。けれど、不謹慎かもしれませんが、こんな風に感情をあらわにするのが人間本来のあるべき姿なんだ、と感じたことも鮮明に記憶しています。
ご実家は、工務店。幼いころからやぐらを組んだり、筋力トレーニングに丸太を使ったり、自分より大きなものを動かすことに慣れていた内平さん。救助活動をおこなう際に役立ったのは、物体にはたらく力と運動の関係を研究する「力学」と、人にそなわる肉体的・精神的能力である「人力」に関する知識でした。
震災が発生した現場には、十分な道具などありませんから、「てこ」になるものを探すなど、その場その場で必要な判断をしていた気がします。本来はそんなことができるわけもないのですが、あのときは、人の命に優先順位をつけざるをえない状況でした。
「人間学」を学び直したことが、その後の大きな財産に
やがて、震災発生から数日たったころ、大学から「親元へ帰省するように」との通達が。山口県の実家にもどっていた数ヵ月間にたくさんの書籍を読破したことは、内平さんのそれからの人生にかかせない、貴重な財産になったのだそう。
本に記されている言葉を、血肉にしていった時期でした。歴史学などを読み直すことで、過去に行動した人を知り、「人間学」に出会いました。「人間学」とは、人間とは何か、人間の本質とは何かを追求する学問。震災を経験し、人間の回復力を目の当たりにしたことで、破壊された風土の中でも人は立ち上がっていけるんだと実感したんです。その後も加速度的に本を読んでいき、家の中は本だらけでした。
震災発生直後は、「人力」と「人間力」の違いを理解していたことが非常に役に立ちました。「人力」とは、人ひとりでできること。「人間力」は、コミュニケートしながらみんなで何かを生み出していく能力なのだと体感しました。今も、研究しているのは「人間力」。人の行動には、行動の源泉になるものが必ずあります。行動する人がいる一方、行動しない人もいるんです。その源泉となるものは何なのかを知りたくて、大学にもどってからも研究を続けていきました。
震災との向き合い方は、人それぞれ
神戸にもどった内平さんは、震災復興に関わる活動にたずさわりながら、大学での研究を深めていきます。復興への道のりを歩きはじめた神戸のまちを、内平さんはどのように見つめていたのでしょうか。
たき火のあたたかさとか、ちょっとしたことでも声をかけあう様子など、とても人間らしい行動を見るたびに、関西人らしい文化だなと思いました。炊き出しで、一度に数千食もつくっちゃうような人たちもいて…1+1を、2どころか、4にも5にもしてしまう力強さがありました。それこそが、生きていくために必要な「人間力」だと思いましたね。
大学では、阪神・淡路大震災を調査するためのデータ収集の一環として、1軒ずつ訪ねてまわり、被災したのかどうかなど、復興過程を確認する調査がおこなわれていました。
この活動をおこなうにあたっては、とても複雑な心境でした。だれもが言葉にできないような経験をした直後でしたから。罵倒されたことも多々ありました。けれど、人として向き合い、信頼関係を築いて、必要な情報を集めていくための訓練になった気がします。なによりも実感したことは、神戸にもどって来られなかった人たちも大勢いたという事実。もどって来られなかったのか、もどって来なかったのかはわかりませんが、人にはそれぞれの生き方があって、震災と一定の距離を置かざるを得ない体験をした人たちが少なからず存在しているんです。
研究室には、実にさまざまなジャンルの本が並んでいる
「食」がつないだ、大切な人たちとの関わり
やがて、内平さんの研究は食にまつわることに及びます。国の基本は食が満つること、「都市の中の農」にも関心が向きはじめ、農を軸に、地域の資源をいかしながらまちづくりにたずさわる方々と、彼らが社会にどんな影響をおよぼしたのかを知りたいと思うように。その後、内平さんが書きあげた博士論文は、当時、兵庫県にある尼崎農業公園の直売所を担当していた畑喜一郎さんを中心とする、農家組織や都市部に存在する、農にまつわる研究でした。「農は公に資する」という考え方をはじめ、阪神・淡路大震災の被災者への炊き出し支援を、なぜ積極的にすることができたのか。なぜ今、兵庫県尼崎市の田能地域周辺で、他の品種と比べて手がかぶれにくいという「田能の里芋」をいかしたまちづくりをおこなうのか…など、畑さんたちの想いが知りたくて、トータルで何百時間もの対話を重ねたといいます。
熱い想いを実践していて、僕自身が素直に尊敬できる人たちのことをたくさん知りたいと思ったんです。人間的に大事なことを続けている人や、独立精神のある人たちの近くにいたかったんでしょうね。「人間力」の源泉がどこにあるのかを知りたくて、何時間も彼らとすごした結果…「人間力」とは、その人の人生そのものなんじゃないか、という結論に至りました。
その考えに至るまでの過程に欠かせなかったのも、食でした。さまざまな背景を持ち、多様な人生を歩んでいる人たちとコミュニケーションをとっていく能力を高めるには「食」を共にする場が必要なのだ、と内平さんは語ります。
人と関わることが苦手な僕にとって、みんなと食事を共にするのは正直言って、おっくうなこと。けれど、一緒にごはんを食べることで、その人の人生哲学を知ることができるんです。語りつくした先に得るものがあるから、僕はそういうコミュニケーションを今でも大切にしています。
尊敬できる人たちの人生哲学をコツコツ集め、まとめていこうと決めた内平さん。大学の修士課程の初期には、震災後の復興過程を見つめながら、人の行動の源泉となるパターンを模索。大学の博士課程では、実際に活動している方々と関わり、周囲にポジティブな影響を与えた人たちの人間としての在り方を研究したそうです。
僕は、復興の先にある「人がいきいきと生きるためのプラスになる何か」を探していました。震災後のまちづくりにおいては、市民が抱える現実を適切に把握しきれなかった行政と、自分の想いばかりを語り続ける市民の姿があったんです。もちろん、どちらもまちがいなのではなくて…連携の仕方がポイントなのではないかと。だから今も、地域連携の仕事を続けることで、行政と市民のバランスをとる役割を担っているのだろうなと思います。
地域連携活動の成果や考え方をまとめた著作、年次報告書
追いたい背中を見せてくれる大人と共に
兵庫県立大学環境人間学部は、環境と人間のかかわりを見つめる学びの場。従来の専門領域では解決しきれない、人と人、人と自然という関係性の中から生まれるさまざまな課題を多様な視点でとらえ、理論だけでなく実践しながら解決をめざすことを大切にしています。内平さんがセンター長代理を務めるエコ・ヒューマン地域連携センターは、知識や経験を、実践を通して地域に還元していく役割を担っており、現在は年間およそ270件もの相談が舞い込み、学生が主体となって活動しているプロジェクトは常時80にものぼるのだとか。
現在は年間400回くらい、さまざまな場所でプロジェクトを展開しています。どのイベントも事業としておこない、「どうすれば継続的に運営していけるのか」を考えるトレーニングになるよう、学生には主体的に関わってもらい、マネジャーとしての経験も積んでもらうように心がけています。
地域の方々と共に事業を進める場合、「人力」と「人間力」のバランスをいつも意識しているという内平さん。「人力」と「人間力」の調和が保たれていないと、学生たちが「この人についていこう」という気にならないばかりか、彼らのモチベーションアップにつながる根拠にならない、というのがその理由なのだそう。
背中を見せられないようなリーダーでは、どんなプロジェクトでも続きません。「人力」を発揮することで背中を見せ、「人間力」で人をまきこんでいく…僕は、その両方をそなえた人材を育てたいと考えています。だから、「この人なら、学生に背中を見せるとおもしろくなりそうだなぁ」という人たちと連携して、事業をおこなっているんですよね。学生と一緒になって、本気で遊んでくれる大人とチームをつくりたい。そして、どんなプロジェクトも完成することはない、と思っています。あえて解決不能にしておくのは、「新しい可能性を自分で探しなさい」というメッセージでもあるんです。地域との連携事業では、学生自身が身をもって「貢献できた!」と体感することが重要ですから。
大学生が運営する地域の子育てコミュニティ「げんきっこ新在家」。兵庫県立大学環境人間学部のキャンパス内にある、親子が安心して集える場
地域の活性化は、住む人たちをまきこんで内側から実行すること
兵庫県立大学環境人間学部では、日本で唯一だという環境人間学部の特色をいかした、学生主体のユニークな地域貢献プロジェクトを実践。地域に貢献する大学づくりがさらに進行中です。
2014年、エコ・ヒューマン地域連携センターに所属する一部の学生たちが、社会のさまざまな課題に対して学生が主体的に取り組んでいるプロジェクトに支援をおこない、次世代のビジネスリーダー育成を目的とした世界的な教育プログラム「Enactus(エナクタス)」に、兵庫県立大学姫路環境人間キャンパスチームとして参加。国内大会を勝ち抜いて、北京でおこなわれた世界大会(Enactus World Cup 2014)に日本代表として出場しました。
「Enactus」は日本ではまだあまり知られていませんが、世界37ヵ国、1,600を超える大学、62,000人以上もの学生が参加している国際的なコミュニティ。「起業家的アクションで人々の生活を変化させ、よりよい持続可能な世界を創造するために行動する大学生の育成」をめざすもので、兵庫県立大学姫路環境人間キャンパスチームは「在来種で地域を元気に」をテーマに、エコ・ヒューマン地域連携センターに所属する複数の学生チームと連携して進めている「在来種の保存と活用プロジェクト」をプレゼンテーション。内平先生は、同チームのファカルティアドバイザー(サポート教員)を務めました。
在来種というのは、ある地域で何代にもわたって受け継がれてきた品種のこと。学生たちは、兵庫県の播磨地域で受け継がれてきた「ハリマ王にんにく」や「もちむぎ」に加え、2014年から新たに加わった「よもぎ」など、在来品種を「育てる」こと、在来品種本来のおいしさを「味わう」こと、在来品種を「伝える」ことという3つの視点で、プロジェクトを進めてきました。この「育てる」「味わう」「伝える」という3点を軸にした在来品種保存システムを活用することで、農村部から都市部まで、さまざまな地域の課題解決に取り組めることを発表したんです。
「Enactus」には、発展途上国の学生も参加しています。彼らは、必要に迫られて本気で活動している。環境人間学部の学生たちには、そんな他国の学生の姿を目の当たりにしてほしいと思っていました。社会の課題を、いかに自分ごととしてとらえ、活動したかが重要なんです。大きな舞台に立つことで、本気で取り組むおもしろさを体感し、同時にうまくいかない経験も積んでいく…いい機会にしてもらえたらと願っています。
北京でおこなわれた「Enactus World Cup 2014」オープニングセレモニー
さらに、エコ・ヒューマン地域連携センターの役割は「どんなストーリーをつくっていくのか」を決めることではないか、と語る内平さん。これからのセンターについて、どんなビジョンをお持ちなのでしょうか。
地域の活性化は、そこに住む人たちをまきこんで、内側からおこなわれるべきだと考えています。地域の人たちが、どれだけ自分の言葉で語れるかが重要なんです。日本の教育には、感情、情緒の部分を育む部分が欠けているなと感じることが多いので…学問は感情だと考えている身としては、人間的な余地を生み出していく学びの場にしていきたい。そうすることで価値観を多様化し、社会を動かせる人たちが増えていけばいいなぁと思っています。
土のプロの指導のもと、里山で子どもたちと共に「ハリマ王にんにく」を育てる
語ることができない人々に寄り添い、人間力でつながるまちへ
阪神・淡路大震災を経験し、まちの復興過程を見つめ続けた内平さんが強く感じていたのは、これほど大きなできごとがなければ「人間力」をそなえた人たちが活動しづらい社会なのか…という事実。自身がそうであったように、阪神・淡路大震災が起こったことから生まれた無数の想いや感情があって、それを語れない人たちが大勢いると思うんです、と内平さんは言葉を続けます。
経験した人たちが震災について語り継いでいくのは、とても自然な流れです。一方で、語らない人たちや語ることができない人たちに対してもリスペクトする精神をもち、想いをくんで配慮していくことが大切なのではないでしょうか。今は、物理的に復興した状態を「復興」だと言っている気がします。真の復興というものは、きっと終わりのないもの。神戸で暮らす人々の多様性も含めて、「復興」とはどういうことなのかをあらためて考え、「復興」をもう一段階進めていくことが必要なのではないかと思っています。
神戸のこれからについては…人間力のある人たちが活動しやすい、「人間力」でつながっていくハブの役割を果たせるまちになるといいですよね。阪神・淡路大震災後の神戸では、どの都市よりも人と人とがつながっていたはずなんです。さらに、次の時代に価値を生んでいく豊かな「人」の土壌が、もっともっと育っていくといいですね。
(写真/片岡杏子 取材・文/二階堂薫、山森彩)