世界に誇れる話
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かつては神戸大学の教授を務め、神戸市民だったこともあるので、神戸で暮らす友人知人やまちのことが心配でなりませんでした。けが人が多いだろうと考え、外科医を中心に救護班を編成して、神戸へ派遣しました。けれど実際は…避難所では内科医が必要とされていたんです。災害時の医療というのは迅速な判断力をはじめ、十分な設備のない中で医療をおこなわなければならないなど、従来の医療とは異なる特別な能力が必要とされます。阪神・淡路大震災が発生した当時、災害医療に関する訓練はほとんどなされていませんでした。あの震災後、われわれ医師は反省しながら懸命に学び、災害医療の面で非常に多くの教訓を得てきたのだと思います。
神戸には、神戸大学で教授を務めていたころの弟子や教え子も大勢いましたから、頭の片隅には常に神戸のことがありました。弟子の1人だった医師は、震災後に過労で亡くなりました。西宮から神戸の病院まで毎日徒歩で通い、相当激務だったようで…本当に気の毒でなりませんでした。
就任直後、笹山幸俊神戸市長(当時)から「神戸の復興を手伝ってほしい」というお話をいただきました。「まちを復興するにあたって、新しい産業を生み出すためにも、神戸は医療産業都市を目指したい」というご相談でした。高齢化が進む日本では、医療産業の需要が高まっていくだろうと私も考えていたので、とてもいいアイデアだと思いました。
医療産業には、大きく2つのメリットがあります。ひとつは、産業としての需要です。国際的にみれば、先進国が果たすべき役割だという見方もありますし、新しい産業が生まれることで、その土地の雇用の機会やビジネスチャンスを増やすことが可能です。もうひとつは、社会的意義。「病気が治る」ということは、その方の人生はもちろん、ご家族にも非常にポジティブな影響をもたらします。お金では換算できない、たいへん大きな価値があるのです。
トランスレーショナル・リサーチとは、基礎研究の成果を、医学の領域で臨床や産業につなげていく手法です。海外ではすでにおこなわれていて、日本は大きく遅れをとっていると感じていました。トランスレーショナル・リサーチを進めるためには、臨床研究センターの整備が必要となります。そんな想いを抱いていたころに、笹山元神戸市長からご提案があったんです。けれど、正直に申し上げますと、神戸には医療産業に関わる歴史が少なかったため、医療産業都市を本当に実現できるのだろうか、と大いにためらいました。
海外でできているのなら、神戸にもできるはずだという希望を持ちました。そしてなにより、神戸のまちのお役に立てることがあるのなら、やってみようと思ったんです。
なんとか神戸の力になりたい、という強い気持ちから参加してくださったのでしょう。このような立場の方々が何度も集まるという前例は、これまでになかったんじゃないかと思います。
みなさんのお知恵と熱意がなければ、現在の医療産業都市は実現しなかったことでしょう。みなさんのご尽力に、本当に感謝しています。
日本で唯一の自然科学の総合研究所、理化学研究所が神戸に一つの拠点を置くことになったのは、医療産業都市を推進していく上で、とても大きな原動力となりました。また、旧・神戸市立医療センター中央市民病院は、老朽化して震災の影響により配管が破裂する可能性があったことから、あたらしく建てかえることになったのです。ならば、先端医療センターを含めた3つの施設を隣接させて、「バイオメディカル・クラスター」の中心にしようと考えました。
まちを、そのまま復興させるだけなら、ここまでの苦労はなかったことでしょう。しかし、神戸市には、新しいことを受け入れてカタチにする伝統と、変革する底力があったのだと思います。
日本では、臨床研究がしづらいという現実がまだまだあります。クラスター化が進むことで、より多くの患者さんを治療することができ、臨床研究に活かすこともできます。また、スーパーコンピュータ「京」ができたことで、高度なシミュレーションが可能となり、基礎研究の精度をより高めることができるようになりました。
従来の産学連携…大学などの教育機関・研究機関と民間企業の関係においては、お互いの施設を行き来しづらい…という大きな壁がありました。たとえば、企業で進める研究は、本来、ある段階に達するまでは機密事項として取り扱われます。一方、大学など公的な研究機関では、秘密保持の文化がありません。ですから、神戸の医療産業都市では、壁をつくらず、簡単に行き来できて話し合いもでき、情報交換も可能な…オープンな場所にしたいと考えていたんです。
理化学研究所と先端医療センターの間に渡り廊下をつくって、自由に行き来できるようにしました。理化学研究所でおこなわれる基礎研究と、先端医療センターでおこなう臨床研究を結ぶ、トランスレーショナル・リサーチの象徴になればと考えたのです。そうすることで、お互いに心を開き、医療技術の進歩に必要な情報交換が活発におこなわれるようになりました。
世界で初めて、iPS細胞を使った網膜シート移植手術がおこなわれ、成功することができたのは、患者さんのご協力はもちろんのこと、当初から目指していた、理化学研究所、先端医療センター、中央市民病院がひとつの場所にあるというクラスター化がもたらした成果だといえるでしょう。まだ十分ではないところもありますが、当時描いていた構想はほぼ実現しました。しかし、医療の研究というものは、薬の開発なども含めて時間がかかります。これからも、この医療産業都市を長い目で見守りながら、よりよいものをつくっていきたいと思っています。
医療の分野で「アジアなら、神戸」と評されるくらい、発展していくといいですよね。独自の薬の開発や医療技術の開発など、できることはまだまだあります。幸いにも、関西には優秀な医療系の大学が多いですから、密接に協力しあうことが可能です。
また、神戸だけに限らず、これからの日本はもっと国際性を持つべきだと考えます。日本は島国で、諸外国に比べても地理的な問題や言葉、文化の違いが存在します。研究所には外国人のスタッフが増えましたし、これからは外国の患者さんたちにも対応できる病院にしていかなくてはなりません。医療の分野においても、国際性を高めることは大きな課題のひとつなのです。
現在の病院は、病気になった方がお越しになるのを待っている状況です。けれど、これからはゲノム研究や疫学をもとに病気を未然に防ぐ「先制医療」がますます重要になっていきます。実現するためには、官民問わず、自治体や企業なども含めたみなさんが力をあわせて、社会的なシステムを構築していくことが必要です。
ここ神戸には、市民にひらかれた医療産業都市があります。その技術をさらに高めて、神戸発の新しい医療技術が生まれ、この世に生を受けた方々が、70~80年は元気に暮らしていけるといいですよね。せっかく授かった生命なのだから、できるだけ長く、すこやかに生きていけますように…私たち医療従事者の願いは、そのひとことに尽きるのです。