お風呂屋さん

ほっこりする話

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地域で愛されて、80年。人々の健康を願い続ける。灘温泉 西本一夫さん

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「灘温泉に来ていたから、救われた」

地元で愛され、日々にぎわいをみせている灘温泉。80年余の歴史を持つ水道筋商店街とJR六甲道駅近くにある2つの店舗は、阪神・淡路大震災で被害が特に甚大だった神戸市灘区に位置します。3代目にあたる西本さんは、神戸市北区の自宅で被災。灘温泉へ行くための交通手段がすべて止まっていたため、すぐにかけつけることはできず、お店を閉めるようにと電話で指示をしたそうです。震災当日も午前4時30分から営業中だった灘温泉は、券売機が倒れたり、電気が消えたりするなど被害は大きかったものの、幸い、けがをした人はいませんでした。
自宅の被害は、食器棚からお茶碗がころがり落ちる程度ですみました。けれど、経験したことのない大災害でしたから…当時は、3人の子どもがまだ小さかったため、家族を守るのに必死でした。近隣の方への、水の配給を手伝ったりもして。震災から7日目にようやくお店に出ることができました。13kmの道のりを、3~4時間かけて歩いたことを覚えています。

震災が起こったあの朝も、何人ものお客様が入浴なさっていました。後日、ある方が「灘温泉に来ていなかったら、タンスの下敷きになっていたよ。命を救ってもらった」とおっしゃったんです。これはとても印象深いできごとでした。

灘温泉水道筋店は火災こそ起こらなかったものの、レンガの壁がひびわれ、木造の外壁がかたむいて、瓦屋根に大きな穴があくなど…修繕が必要な状態だったといいます。六甲道店も重油タンクが転倒、浴場の設備が壊滅状態となり、見るからに開店を断念せざるをえない状況でした。
電話が使えなかったので、なかなか連絡がつかなかったのですが…道路が寸断されているにもかかわらず、大阪のボイラー会社さんがかけつけてくださったんです。調べてもらうと、水道筋店ではボイラーをつなぐパイプが折れていて、動かなくなっていることがわかりました。

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地域のライフラインとして活躍した、灘温泉

水道筋店の復旧に力を注ぐことに決め、震災から4週間後に仮営業を再開。灘区は倒壊した住居が多く、大勢の人々がお風呂を求めて灘温泉を訪れました。
1日の来館者数が3,000人にもおよび、行列ができました。「地域のライフライン」として、新聞にとりあげられたこともありました。王子公園に、無料の仮設のお風呂も設置されましたが、うちは有料だったにもかかわらず、本当に多くの方々が遠路はるばる、灘温泉へ来てくださって…。

余震が続いていたので、完全に復旧するまではいざというときのことを考えて、営業は明るい日中だけと決めていました。おかげさまで、60年続いてきたお店は倒壊こそしなかったものの損傷は大きく、できる範囲内で修繕を繰り返し、建物が使える状態になるまで4週間もかかりました。あんなにひどい揺れの中、よく全壊にならずにすんだなぁと思います。

しかし、その後、灘温泉への客足は徐々に途絶えていきます。震災前のピーク時には水道筋店だけで1日に1,300人にものぼった来館者数が、600人にまで減少。このまま経営を続けられるのだろうか、と不安を覚えたこともあるそうです。
お湯と施設がよければ、きっとお客様はまた来てくださるはずだと思って…震災から8年後、水道筋店を解体して改築(新築)しました。

DSC_1835全壊をまぬがれた、六甲道店。当時のレトロな意匠が残る


震災後に湧いた、奇跡の源泉

かつては7店舗あったという灘温泉を西本さんが引き継いだのは、1975年のこと。1938年に発生した阪神大水害でお店が流されてしまうなど、数々のトラブルを乗り越えてきた灘温泉に源泉が湧いたのは、意外にも阪神・淡路大震災後のことでした。
天然温泉を掘ることは、私の祖父である1代目の夢だったんです。何度か挑戦したものの、敷地の制約や、技術的な問題のほか、掘る際にはどうしても振動が起こるため、ご近所にご迷惑をおかけしてしまうこともあって…なかなか実現できずにいたのです。

1932年に1代目が開業した当時、界隈には瓦屋根の住宅が多く建ち並んでいたため、温泉を掘る際の振動で、近隣の家屋の瓦屋根がずれて雨漏りがするかもしれない、という課題をなかなかクリアできなかったといいます。
震災前から、天然温泉を掘るための研究を続けていました。震災後、灘区の六甲道界隈に位置する備後町3・4丁目のまちづくり協議会に参加したとき、「こんな時に不謹慎かもしれませんが、さら地の状態なら温泉を掘ることができるかもしれない…」と話したところ、「それはいい」「まちが元気になる」とみなさんが応援してくださって。源泉を掘るぞという決意がかたまったんです。

念願がかなって、1999年に温泉を掘削。600mほど掘り進んだところで、31度のお湯が湧いてきたといいます。
神戸市内では、日本有数の温泉地として有馬温泉が知られていますが、実は長田区などにも天然温泉が存在するんですよ。人工的に掘ったものですから、あまり注目されていませんが、灘区にも5つの天然温泉が湧いています。灘区では、灘温泉が最初だったのではないでしょうか。

DSC_1803笑顔が絶えない西本さん、ポジティブな明るさが地域に愛され続ける理由


みんなの健康を支える、灘温泉

現在、2つの灘温泉には、平日は1,000人以上、土・日曜には2,000人ほどのお客様が訪れているのだとか。お風呂は人々を健康にするという信念を持ち、1人でも多くの人々が元気でありますようにと願う西本さんは、早朝から深夜まで、ほぼ休みなくお店をオープンしています。
利用なさるのは、半分以上がご高齢の方々。いつも元気な96歳のおじいちゃんもいらっしゃいます。私も持病はあるものの、65歳になった今も元気にすごしていられるのは、毎日お風呂に入っているから。温泉に入ることを楽しみにしておられる方々がいつでも入れるよう、できるだけ長い時間、お店を開けておきたいと思っています。

かつて、水道筋店では1日に2回、温泉を利用する人も多かったとか。水道筋商店街で商売をおこなう人たちが、朝の仕入れ後にひとっ風呂浴びて、また仕事に行って、夜になるとまたお風呂…というライフスタイルを持っていたそうです。ピーク時には年間約50万人の利用者がいたといい、その記録は灘温泉の誇りだそうです。
具体的な時期はわかりませんが…ピーク時には神戸市内に200軒ほどの銭湯があったものの、震災で半数に減ってしまいました。木造やレンガ造りの建物が多く、構造が弱かったことや煙突が倒れるなどの被害があって、やむを得ず閉店した銭湯も多々あります。また、最近は原油の高騰による燃料費の上昇など、経済的な問題や精神的なプレッシャーもあって、経営を続けられない銭湯も増えています。そんな状況でも、私たちが続けていられたのは、地域の方たちや来てくださるお客様のおかげだなぁと。

DSC_1848震災以前は脱衣箱の扉だったものを再利用した、六甲道店の玄関


地域の人々に開かれたお風呂屋さんをめざして

これからはますます、より多くの世代にひらかれたお風呂屋さんでありたいと願う西本さん。2006年におこなった、近所の子どもたちに大人の背中を流してもらう「お背中流し隊」をはじめ、現在は月に1回「すくすくクラブ」という子育て教室を開催。新しい取り組みを積極的にとりいれています。
お客様の背中を流した小学生が、ごほうびにアイスクリームをもらう…という取り組みを2年ほど続けました。テレビの取材もあるほど話題にもなりましたから、コミュニケーションを生み出すきっかけになったのではないでしょうか。

「すくすくクラブ」では、小さい子どもたちとその保護者の前で、図書館で借りてきた紙芝居や絵本を妻が朗読しています。その後、親子でお風呂に入っていただくんです。そんな活動に興味をもった若い保育士さんが電子ピアノを持ち込んで子どもたちと歌うなど、活動が少しずつ広がっているんですよ。お誕生日会やクリスマス会なども開催しています。子どもたちが幼いころにお風呂屋さんでお風呂に入ることは、すばらしい経験になるはずです。

また、子育て支援「すくすくクラブ」では、お風呂を利用するママさん同士がお互いの子どもの世話をしたり、育児の悩みを相談しあう場面も見られるのだとか。
昔は、お母さんが湯船につかったり、体を洗っているときにまわりの人たちや風呂屋のスタッフが子どもたちのめんどうを見ていました。現在は、時代の風潮として、そういうことがむずかしいですが…顔見知りが増えれば、助け合いが自然とおこなわれるんですよね。お風呂に入っている方にとっても、子どもの面倒をみることが、心の癒しになるんじゃないかと思っています。

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地元の温泉だからこそ、お風呂で生まれる関係を大切に

現在、2つの灘温泉には、およそ26名のスタッフが在籍。いつも清潔なお風呂に入っていただきたいと、毎日深夜、せっせと掃除をおこなっているそうです。毎日のように灘温泉に入っているせいか、重労働でありながらも非常に元気で、「特に女性スタッフはみんな、肌がきれいなんですよ」とほほえむ西本さん。温泉の経営は厳しいけれど、こんな時代だからこそ、地域に必要とされているのではないかと言葉を続けます。
テレビに向かって話しかけることが多い…という、ひとり暮らしをしているご高齢の方が「お風呂に入りに来たときには、人と話すようにしている」という話も聞きます。灘温泉に来ることが、日々の暮らしの習慣となり、同じ時間帯に来る方たちが自然と友だちになることもあるんですよ。ご利用いただく方も、経営する私たちも「ありがとう」と気持ちよく感謝しあえる関係を、これからもつくり続けていきたいですね。とくに、水道筋商店街では長い時間をかけて培ってきた、顔が見える方々とのつながりも多くあります。その関係を大切にしながら、地道にお店を続けていけるといいなぁと願っています。

DSC_1828健康祈願のシンボル「さすり観音」。これからも、地元の方々に愛され続ける温泉をめざす


(写真/片岡杏子 取材・文/二階堂薫、山森彩)

西本一夫

灘温泉3代目、水道筋店と六甲道店の2店舗を経営。1932年ごろに祖父である1代目が銭湯「灘温泉」を開業、阪神・淡路大震災発生後の1999年に天然温泉を掘削。炭酸をたっぷり含んだかけ流しの源泉は、ご近所のシニア世代や、登山帰りの方など幅広い世代に親しまれている。

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