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生かされてきた人生だから。震災の体験をエネルギーに変えて、真の復興をめざしたい。ロック・フィールド 岩田弘三さん

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絶望するより、会社を変えるきっかけに

あの阪神・淡路大震災が発生した時、芦屋市の自宅で被災されたという岩田さん。幸い、ご家族もご自宅も無事だったものの、家の中には家具や食器などが散乱していたそうです。
トラックでも家に突っ込んできたのかと思いましたが、家の周囲を見渡して、これは大変な地震だとわかりました。車で神戸市東灘区にある本社へ向う途中、街のあちこちで火災が発生し、阪神高速道路の倒壊を目にして「これはあかん」と覚悟を決めました。

震災発生の2カ月前に新築したばかりの当時の神戸本社は、オフィス内に什器備品が散乱していたものの、建物の損傷はありませんでした。隣接していた神戸ファクトリーは、外見こそ維持していましたが、地震の揺れによる液状化で地盤が沈下。幸いにして、垂直に地盤沈下していたことから、建物が傾かずに済んだそうです。本社とファクトリーの状況確認や従業員の安否確認を進める中、大勢の社員が徒歩で3~4時間かけて本社へ集まってきたといいます。その心意気とエネルギーに感動したという岩田さん。本社付近にあるガスタンクが爆発する可能性があり、急遽ご自宅に社員を集めて、緊急対策会議を開きました。
ファクトリーをどう復旧させるのか、商品をどのように店舗に配送するのかなど問題は山積みでした。しかし、現在の状況に絶望するより、「この災害が会社を変えるきっかけになるかもしれない」と考えました。

名称未設定20阪神・淡路大震災発生後、液状化する神戸ファクトリー周辺

大きな被害があったものの、取引先各社に「神戸は立ち直ることができる」と安心してもらうため、岩田さんは、とにかく1月20日の取引先への支払い期日に間に合うよう手続きを行いました。
神戸の銀行は全く機能していなかったため、メインバンクの東京本店に協力を得て、支払いを行いました。さらに「ロック・フィールドは大丈夫」というメッセージを全ての取引先にFAXで送りました。被災した阪神地区以外の店舗は、1日も休まず営業を継続することができました。品揃えが十分でないにもかかわらず「神戸の企業でしょう。応援するから頑張って」と、全国のお客様が購入してくださいました。それはもう、本当に嬉しかったですね。


「私たち、何でもやりますから!」に勇気をもらった

大震災発生から3日後、静岡ファクトリーへ生産拠点を移すことを決定。ファクトリー敷地内に仮設のプレハブを建てて生産を再開しました。
静岡ファクトリーでは、約400名の従業員に神戸の状況を報告しました。すると、皆さんが「社長、私たち、何でもやりますから!頑張って下さい」と言ってくれたのです。とても勇気づけられましたね。あのときの感動は、今でも忘れられません。

スクリーンショット(2015-02-12 22.59.25)緑豊かに植樹された、現在の静岡ファクトリー


働ける喜びに、みんなで「ばんざい!」

従業員が懸命に復旧作業を進めた結果、大震災発生からわずか2カ月後の1995年3月、最後まで残ったライフライン、都市ガスの復旧とともに神戸市東灘区の神戸ファクトリーが再稼働。誰もが働ける喜びをかみしめ、どこからともなく「ばんざい!」という声が自然に上がりました。
私たちは「生かされている」。あの震災で生き残ったからだけでなく、数多くの支援から、そのように実感しました。現在では、在籍する社員の8割以上は震災を経験していない世代になりましたが、あの時の経験が風化しないよう、社員に語り続けたいと思います。

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東北の被災地に届けた、新鮮なサラダ

そして、2011年に発生した東日本大震災。あの震災では、ロック・フィールドの出店店舗が入居する仙台の百貨店や駅ビルも被災し、営業停止を余儀なくされました。首都圏の主要ターミナルの百貨店、駅ビルも交通が遮断され、大きな影響を受けました。
あの日は、高知商工会議所で開催された「南海トラフ大震災」に備える勉強会で、講師として阪神淡路大震災の体験を話していました。高知では殆ど揺れを感じなかったのですが、「東北で大きな地震があった」と連絡が入り、講演後すぐに神戸本社へ戻って、夕刻には緊急対策会議を行いました。

東京オフィスでは、研修中だった就職内定者など70名ほどが帰宅できなくなり、オフィスで一夜を明かしましたが、阪神・淡路大震災の経験を活かして備蓄していた毛布や水、食料などがとても役に立ちました。

2011年4月には、宮城県石巻市で行われた炊き出しにかけつけ、およそ6,000食のサラダを提供しました。
温かい食べ物が並ぶ中、サラダで良いのか、喜んでもらえるのかと不安でしたが「震災以来、初めて新鮮な野菜を食べました」と、とても喜んでいただけて…。嬉しい反面、神戸とは全く異なる被災状況の中で、もっと何かできたのではないか、という想いを今でも抱いています。

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スクリーンショット(2015-02-12 22.57.44)東日本大震災後、宮城県石巻市でサラダを提供。非常食ばかりの生活の中で、新鮮なサラダはとても喜ばれた


大震災から10年の節目に完成した復興のシンボル、「元気の木」

本社・神戸ファクトリーをより働きやすい環境にしようと考えた岩田さんは、阪神・淡路大震災発生から8年後の2003年、現在の本社への移転を決断します。
この土地にご縁があったのでしょう。神戸ファクトリーの向かいにあった旧百貨店の物流センターを購入することになったのです。建築家の安藤忠雄さんとともに物流センターの建物内部を確認し、「もったいないから残す」という考え方で、地下の基礎工事をやり直し、建物全体はリノベーションして活用することにしました。

このリノベーションを通して、岩田さんは、本社のあるエリアはもちろん、神戸の街のために出来る事があるのではないかと考え、どうリノベーションするかということに強くこだわりました。その想いの一つが、本社の敷地内でひときわ目をひく大きなオブジェ「元気の木」です。
阪神・淡路大震災から10年目となる2005年に、神戸市のメモリアルイベント「震災10年 神戸からの発信」事業が開催されました。イベントの企画段階から携わっていた事もあり、メイン会場のメリケンパーク・神戸海洋博物館に飾られていた、子どもたちに大人気だったシンボルオブジェ「元気の木」を引き取らせてもらったのです。このオブジェは美術家の杉山知子さんの作品で、震災から20年経った今でも、僕にとっては復興のシンボルです。

スクリーンショット(2015-02-12 22.58.06)本社に併設された企業内保育室の園庭にある「元気の木」


従業員にとって、心から誇れる会社に

ロック・フィールドは、子どもたちの将来のために、食育に力を入れていることでも知られています。神戸本社・ファクトリーと静岡のファクトリーには企業内保育室が併設されており、静岡の保育室では、地域の方々との交流も盛んに行われているのだとか。保育室を運営するには苦労もあるといいますが、保育室の存在そのものが従業員のモチベーションアップに繋がっています、と語る岩田さん。
静岡の保育室では、25名ほどの子どもをお預かりしています。天気の良い日は、子どもたちが周辺の畑や田んぼへ散歩に出かけます。散歩の中で農家のお百姓さんと仲良くなり、「稲穂がスズメに狙われて困っている。かかしを作ってほしい」と依頼された時、子どもたちがかかしを作ってプレゼントしたら、お礼にと新米を1俵まるごといただいたり…。また、園長先生の発案で、釜戸を作りました。子どもたちが集めてきた薪を使ってごはんを炊いたり、調理に使うのです。子どもたちの成長のためには、すごく良いことですね。

また、仕事や社会体験にチャレンジできるテーマパーク「キッザニア」では、新鮮な野菜を使ってジュースを作る体験を通して、食育の取り組みを実践しています。

スクリーンショット(2015-02-12 22.58.21)静岡の企業内保育室にある、畑と釜戸


これからが、真の復興だと思う

子どもたちを対象に、様々な食育活動を行っているロック・フィールド。企業の経営者として、神戸の街を牽引していくリーダーの1人として様々なアイディアをお持ちの岩田さんは、日本の未来、神戸のこれからについて、どのように考えていらっしゃるのでしょうか。
震災もそうですが、僕は第二次世界大戦を経験し、貧しい時代をなんとか乗り越えて、生かされてきた世代です。自然災害や人災は、これからも起こるかもしれません。試練はときに不幸で、苦しいし、身も心も痛みを伴います。それでも、与えられた試練をどのように活力にして生き抜き、成長していくのか。若い人たちにも、厳しい場面に遭遇した時こそ、創造力を働かせて活力を生み出し、生き抜いてほしいと願っています。

阪神・淡路大震災から20年経った今、神戸はまだ復興途中の部分はありますが、「素晴らしい街」を作ってきた。神戸に限らず、日本は、変化しながら進化する優れたDNAを備えています。だから、これからもっと頑張れると信じている。全ての若い方たちが日本の良さに自信をもって、もっと進化することを期待しています。

神戸は、開港して居留地ができた頃から既にデザイン都市でした。新しいものが行き交い、非常に洗練された街。だからこそ、神戸としての軸をしっかり持って「神戸で暮らしたい」と思われる街作りを、これからも続けて欲しい。それが、真の復興に繋がるのではないかと思っています。

DSC_1666「元気の木」の前で、元気いっぱいの子どもたちとともに


(写真/片岡杏子 取材・文/二階堂薫、山森彩)

岩田弘三

株式会社ロック・フィールド代表取締役会長兼CEO。1940年生まれ。神戸で生まれ育ち、1972年に株式会社ロック・フィールドを設立。新鮮なサラダを中心とした惣菜店「RF1(アール・エフ・ワン)」や「神戸コロッケ」を全国に展開。次世代を担う子どもたちへの食育にもいち早く取り組み、神戸本社と静岡ファクトリーに企業内保育室を開設。野菜づくりや調理体験など、食育を柱にした保育を実践している。

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