近年、“ソーシャル系大学”と呼ばれるカジュアルな学びのためのさまざまなプログラムを持つ場が全国に生まれています。シブヤ大学(東京)、札幌オオドオリ大学(札幌)、びざん大学(徳島)、そして神戸には「神戸モトマチ大学」があります。
神戸モトマチ大学を立ち上げ、代表を務める村上豪英さんは、三代続く工務店の経営者。しかし、村上さんは小さいころから自然が好きで、「建築ではなく自然保護に関わる仕事に就きたい」と考えていました。自然から、自然も含めた「まち」に関心が向いたのは、阪神・淡路大震災がきっかけだったといいます。
言葉の端々から神戸への愛があふれる村上さん。まちづくりへの想い、そして、神戸モトマチ大学を通じてつくりたい神戸の姿とはどのようなものなのでしょう?
震災がきっかけで、まちをつくる仕事に
神戸で生まれ、子どものころから自然が大好きだったという村上さん。お母様が自然保護活動をされていたり、無農薬野菜を家で食べていたりという影響もあったようです。京都大学で生態学を専攻、大学院まで進学し、将来は自然保護の仕事をすることが夢だったといいます。
家業は工務店ですが、建築って、自然を壊すというか、自然と対立する仕事だと思っていたんです。だから、家を継ごうとは思っていなかったし、下に弟が三人いるので、「誰かが継いでくれるんじゃないか」くらいに思っていました。
阪神・淡路大震災が起きたのは、村上さんが大学4年生の1月のことでした。
学生時代の村上さん。「人に注目されたいということをあからさまに表現する」ことにこだわっていたため金髪にしていたそう
京都も揺れましたが、テレビをつけて見ると、京都や大阪の震度は表示されるのに、神戸だけ震度が出ないんです。まわりの都市と同じくらいなのかなと思っていたら、震源地で一番ひどく、火災も起きているとわかり、怖くなりました。翌日、バイクで神戸に向かうと、西宮市を流れている武庫川を渡った途端に景色が完全に変わりました。何もかもが壊れていて、目を疑うような景色でした。
当時、ポートアイランドのある中央区に実家があったのですが、液状化現象で、道路の上に泥が20cmも溜まっていて、怖くて歩けないような状態でした。会社には「家を見てほしい、直してほしい」という要望はたくさん来ていたのですが道路が復旧していなかったり、渋滞がひどかったりしたので、社員さんをバイクの後ろに乗せて、お客さんのところに送っていました。
美しいまちだとずっと思っていた生まれ故郷の神戸が震災でぐちゃぐちゃになってしまったのを見て、すごく悲しい気持ちになりました。しかし、その中で、家業である建築の仕事に対する見方が変わりました。それまでは、自然を壊す仕事、と思っていたのが、自然も守りながらまちに向き合い、人々の力になる仕事なんだ、というように見えてきたのです。
震災直後の村上工務店周辺のようす。村上さんはボランティア活動をして神戸のまちを駆け回った
大学院を卒業後、村上さんは大阪のシンクタンクに就職。主に自治体の各種計画づくりを支援する研究員として3年ほど働いた後、27歳のときに家業を継ぐために村上工務店に入社しました。父の勧めで神戸青年会議所に入会した村上さんは、2010年から2011年にかけて、青年会議所のまちづくり支援の事業に携わります。全国30カ所くらいを見てまわり、特に魅力的なまちづくりをしている12地域を選んで取材し、「人の絆がまちをデザイン(公益社団法人日本青年会議所・著、パールバック2011年発行)」という本にして出版しました。
この経験は、全国のまちづくりを実際に見るだけにとどまらず、全国の青年会議所のメンバーとのつながりも深めました。そんなときに起きたのが東日本大震災でした。
東日本大震災が気付かせてくれた神戸への想い
2011年3月、東日本大震災が起きました。村上さんも支援のために東北を訪れました。そこで、汗を流して地域の復興のために働く人たちの姿を見て、村上さんは阪神・淡路大震災直後の神戸の様子と、自分が感じていた地元、神戸への想いを思い出したのです。
阪神・淡路大震災の後、神戸のまちのために何かしたいと思ったはずだったのに、自分は何もしてこなかったんじゃないか。
すぐに、同じ神戸出身の経営者仲間3人と「自分たちの力で神戸のまちのために何かしよう」と話し合い、そこから生まれたのが「神戸モトマチ大学」のアイデア。2011年6月半ばに、第1回目の準備ミーティングを開き、2週間後の6月30日にはさっそく第1回目の講義が行われました。
毎回違った分野で活躍する講師を招いて、講義が行われる
神戸モトマチ大学は、特定の校舎などは持たず、元町・三宮エリアを広大なキャンパスとして、神戸で活躍する人を講師に、学びを通じて人の輪を広げるプロジェクトです。でも、まちのために何かをしたいという想いが、なぜ神戸モトマチ大学になったのでしょうか?
神戸の人口は約150万人。適度に小さいというか、人が力を合わせられるサイズだと思うんです。けれども、人がばらばらで、想いを共有していない感じがしていました。
アメリカのポートランドは、人口約60万人ですが、自然の豊かさと都市の機能が共存しているコンパクトシティの成功例として、知られています。ここでは、市民が「消費するよりつくる」まちにしていこう、というビジョンを共有しているんですね。
神戸に対してみんなが思っていることも、それとあまり遠くないと思うんです。みんな思っているのだけど、声に出して言っていない。それは、言えるような人のつながりが十分にできていないから。まずはそのつながりをつくりたいと思いました。「トモダチのトモダチ」くらいの距離感でつながれたら、小都市ならではのつながりの強さで、まちの魅力を最大限に引き出せると思っているんです。
神戸モトマチ大学では、月に1回くらいのペースで、神戸で活躍する人を招いての「基本講義」が行われます。参加人数は、毎回60〜70人くらい。初めて参加する人が2〜3割、よく来る人がやはり2〜3割、あとの5割程度は、自分の興味のある講義のときにたまに来るという人だそうです。
回を重ねるごとに、一緒に大学をつくっていきたいという人も増え、今では約50人がスタッフとして関わっています。
スタッフは全員ボランティア。Facebookなどで連絡を取り合い、毎月の講義を準備している
目的は「人がつながること」ですから、理想の参加者数は30人くらい。本当に講義のテーマに関心のある人に来てほしいと思ってるんです。スタッフにも、「関心のないときには来ないでほしい」と言っているくらいです。
あと、新しい人とつながるのが大事なので、どんなに面白い活動をしていても、もう僕たちがよく知っている人や、近いコミュニティの人は講師に呼ばない。接点のない人を発掘していっています。
例えば、僕は仕事柄、自営業の人や、まちづくりに関わっている人は結構知っているわけです。でも、神戸にある大企業で働いている人や、研究所の研究員の方たちとはほとんど接点がない。そうすると、講師に呼ぶことでつながれるわけです。
行政とも、意外とつながりがないことに気付いて、この間は市役所の職員に講師になってもらったのですが、そこでお互いにどんな想いで、どんな活動をしているのかわかって、つながることができたんですね。
ネットワーキングに力点を置いているので、参加者がお互いに話しやすくなるような工夫も取り入れています。例えば、講義の前にお酒を提供する「モト大バー」などもその一つ。講義の後にグループで感想を話し合ってもらったり、スタッフが参加者に話しかけて、関心が似ている人を紹介したりもしています。
また、参加者やスタッフのアイデアで新しい授業も次々と生まれています。複数の講師が次の生活をデザインするアイデアや取り組みについて、ショートプレゼンテーションと映像によって発信するセッション「Sparks!」や、神戸市外で活躍される講師を招く「Plus+」のほか、講義室を飛び出しまちのイベントや先進施設などをキャンパスとして体感する「ピクニック」のように実験的な課外授業もあります。
「Sparks!」5回目、須磨海浜水族園の大鹿達弥氏による「水族圏博物館構想」のショートプレゼンテーション
大学から広がるつながり、そしてつくりたいまちの姿
神戸モトマチ大学が始まって4年目。参加した人が、大学での出会いから、一緒に仕事を始めたり、プロジェクトを企画したりということが増えてきました。例えば、ナガサワ文具センターという文具店で、「神戸インク物語」という神戸のまちをイメージした万年筆のインクを開発している竹内直行さん。神戸モトマチ大学の講師を務めたときに、北野に日本初の国営のオリーブ園があったことから緑化のためにオリーブを植えて神戸のシンボルにしようという活動をするインターナショナルオリーブアカデミーの人たちに出会いました。そして、一緒に新たな色「北野オリーブグリーン」を開発したのです。
創業130年の「ナガサワ文具センター」で、商品企画に携わっておられる竹内直行さん
こういう例は、たくさんありますね。神戸モトマチ大学をつくったときにイメージしていた人のつながりが、どんどんできてきていると思います。
神戸のまちに対する想いを共有したいというところから、神戸モトマチ大学を始めたわけですが、4年間やってみてどんな気付きがありましたか?
いろいろありますが、「神戸は静かなまちだ」ということを肯定的に捉えている人が多いことが面白いなと思っています。「まちづくり」というと、「盛り上げる」ことをまずイメージしませんか?でも、盛り上がりを見たければ、渋谷に行くとか、海外なら上海に行くとかすればいい。神戸は盛り上がりという点ではとてもかないません。でも、「静かだから好きなんだ」という人が多いんです。いろいろな人と話す中で改めて気付いた神戸のいい点ですね。
参加した人に感想や、受けたい講義などを書いてもらうカード
その静かさの中に秘めた想いを持っているのも、神戸人の特徴ではないかという村上さん。
神戸のまちなかには、阪神・淡路大震災が起こった5:46で止まっている時計が結構たくさんあるんです。大阪の人と話していたときに、「あれはもう新しくしたほうがいいよ」と言われたのですが、神戸の人間にとっては、あれが原点なんですよね。震災があったからこそ、お互い結束したり、乗り越えたりしてきたので、震災をただ悲しいもの、つらいものとして捉えてはいないんです。
でも、東日本大震災が起こった後に、「東北は神戸を参考にしてはいけない」という声を聞きました。なぜなら、「神戸は1995年以前の神戸に戻ろう、戻ろうとしている。新しいまちをつくろうとしていない」からだというのです。悔しいけど、本当にそのとおりだと思いました。ああいう大きな災害が起こると、新しいことを考える余裕がなくなって、たいがい保守的な意見が勝つんです。
神戸は居住空間としてはすごく恵まれていると思うんですよ。海も山もあり、コンパクトで美しい。だけど、新しい産業ができていないので、若い人たちが外に出ていってしまう。もっと新しい産業が生まれて、働きやすいまちにしたいと思いますね。
「何ごとも小さく始めるのが好き」という村上さん。その先に見ている夢は大きい
神戸への想いを熱く語る村上さんには、今もう一つ手がけている新しいチャレンジがあります。それは、全国にたくさんあるソーシャル系大学の仕掛人を集めて、フォーラムを開こうというもの。千葉県の柏まちなかカレッジ、横浜市のハマのトウダイとタッグを組んで、これからのコミュニティカレッジの成長を考えるフォーラムを2015年4月に神戸で開催する予定です。
「学ぶ場を通して、人のつながりをつくり、まちのことを皆で考えられる空気をつくりたい」という村上さん。神戸モトマチ大学が蒔いている種が、これから神戸のあちこちで芽吹いてくるに違いありません。
(取材・文/吉本紀子)
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