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震災で自宅全焼。焼け残ったゴルフバッグを見て、還暦でプロゴルファーに。奇跡を生み出す「大切なもの」とは?プロゴルファー 古市忠夫さん

furuichi_20111011-259歳11か月24日でプロゴルファーになった古市忠夫さん

震災で自宅も店も全焼、唯一焼け残ったゴルフバッグを見て、「お前はこれでいけ」と言われた気がして、還暦を目前にプロゴルファーになった古市忠夫さん。もともと才能があったのでしょうか。それとも、プロになろうとしてすごい努力をしたのでしょうか? 古市さんは、そのどちらでもないと言います。

震災を経験して、全く変わった人生観。そして、古市さんをプロゴルファーへと導いた「奇跡」とはなんだったのでしょうか?


震災が何もかも奪っていった

古市さんが現在も暮らす、神戸市長田区鷹取は、美しい町並みの中に樹木や公園があるまち。このまちが震災で焼け野原になった光景は、20年後の現在ではなかなか想像することができません。しかし、それを経験した人は決して忘れることはないでしょう。

古市さんは神戸市長田区生まれ。28歳のときに東洋カメラ店を開きました。妻と2人の娘と暮らし、消防団で33年近く活動を続け、趣味のゴルフで10回クラブチャンピオン(大神戸ゴルフ倶楽部のクラブチャンピオン)になったことが自慢。そんな古市さんの人生が一変したのは54歳のときに起きた阪神・淡路大震災でした。

furuichi_shashinya東洋カメラ店を営んでいたころの古市さん

furuichi_tenpomae_kazoku店の前で家族と。この写真は年賀状にしていたものを震災後に知人からもらった

家族は全員無事だったものの、自宅も店も全焼。住み慣れた商店街は見る影もなくなりました。消防団の一員だった古市さんは、とにかく人を助けなければと駆け回り、2日間で11人を救助しました。
原爆が落ちたような光景でしたよ。あんなことが起こると、人は思考も、感情も、生理現象もなくなります。人が死んでいても、自分の家が燃えていても、なんとも思わなくなってしまうのですよ。それくらい人は変わってしまうんです。

furuichi_1995_0117_09061月17日午前9時6分の鷹取商店街

何もかも燃えてしまって、がれきだけになった家の跡に家族4人で立ったとき、焼けて色の変わったゴルフの優勝カップがあったそうです。そのときは、自分の生活の復興などまだ考えられず、「とにかくまちをどうにかしなければならない」その想いしかなかったといいます。

町内会長だった古市さんは、町内の合同葬儀、区画整理のためのまちづくり協議会の設立、まちづくりの勉強会や行政とのやりとりなどに走り回ります。区画整理なんていわれても、住民は何も分からない。コンサルタントや行政と話し合い、住民を説得し、ときには激しくやりあいながら、まちの復興は少しずつ進んでいきました。

もともと、鷹取は下町の商店街ならではの結束力が強く、震災前から、盆踊りや運動会、カラオケなどの行事でまちの人たちのつながりの深い土地でした。それが、震災後6年、神戸で一番早い復興をとげるということにつながっていったのです。


焼け残ったゴルフバッグが導いた道

震災から3 週間たったとき、古市さんは、自宅から離れた駐車場に止めておいた車が焼けていないことを知りました。鍵を作り直して車のトランクを開けると、そこにはゴルフバッグがそのまま入っていたのです。それを見た途端、体に電気が走ったような衝撃があり、「お前はこれからの人生、これでいけ!」と言われたような気がしました。

震災用トリミングトランクの中にあったゴルフバッグ。普段はトランクに入れたままにすることはほとんどなかったという

しかし、震災直後はとてもゴルフをする気分にはなれず、そもそも練習場も壊れてしまってありません。ようやくゴルフに行ったのはバッグを見つけてから3カ月後、その後も2〜3カ月に一回行くくらいで、ゴルフバッグを見たときの気持ちも忘れかけていました。

ところが、震災から5年が過ぎた2000年。古市さんは、ゴルフ仲間から「プロテストを受けてみろ」と言われます。それまで、プロゴルファーになることなど考えたこともなく、もちろんそんな練習もしたことはありません。「まさか、自分がプロゴルファーなんて…」と思った古市さんですが、ふと気付いたことがありました。
以前は、人間は才能や努力、あとは運や、と思っていたんです。でも、震災が起こって、もっと大事なものがあることに気付いた。それは、人を労る心、積極性、勇気、友情、そして感謝です。今まではゴルフをやれるのも当たり前だと思っていたのが、ゴルフができることへの感謝が生まれてきた。お金を追いかけていても入ってこなかったのが、追いかけなくなって人のために動いていたら、入ってくるようになった。自分が努力や才能ではなく、心でプロゴルファーになれたら、震災で気付かされた心の大切さを証明できるんじゃないかと思ったんです。

P1010926「ゴルフは心の格闘技。それを証明しようと思った」という古市さん

そうはいっても、プロゴルファーになるためには、自分より40歳くらい若い選手たちと競わなくてはなりません。13日間のプロテストを戦いぬく体力、精神力も必要ですが、お金もかかります。「プロテストの費用は100万円」と聞いて、奥様は最初「何を言っているのか」と一蹴されたそうです。それでも、古市さんは「プロゴルファーになる」と決めて、一歩も譲りませんでした。

誰が見ても不可能に見える挑戦。しかし、古市さんは1,800人受けて50人しか通らないプロテストに見事合格し、2000年、59歳と11ヶ月24日で、PGA(日本プロゴルフ協会)認定プロになったのです。

その古市さんがプロテストを受ける様子を見ていた人がいます。ノンフィクション作家の平山讓さんです。古市さんの震災からプロゴルファーになるまでを平山さんが綴った作品「還暦ルーキー —60歳でプロゴルファー」(講談社、2001年)は、ビジネスジャンプで漫画化(「還暦ルーキー・逃げたらあかん」石川サブロウ作)。さらに、2006年には、赤井英和さんが主演する映画「ありがとう」として公開されました。

また、NHKのドキュメンタリー番組「にんげんドキュメント」などでも取り上げられ、古市さんの生き方は多くの人に影響を与えました。力づけられた人たちが、もっと話を聞きたいと希望し、取材や講演の依頼が絶えなくなりました。

震災用トリミング2ゴルフの著作も多い古市さん


感謝の大切さを子どもたちにも

現在、古市さんはプロゴルファーとして活躍しながら、全国で講演活動をされています。その回数は530回を越え、海外からの依頼もあります。そして、それだけではなく、地域の町内会長を20年続けています。朝の見回り、通学路の掃除、日曜は公民館でふれあい喫茶という高齢者も子どもも交流できる場所を開き、月に1 回(2014年11月までに135回)は自主防災組織である若鷹市民消火隊の訓練も欠かしません。
消防、警察、自衛隊ではなくて、住民がまちを守って、災害に強いまちをつくらないといけない。自分たちのまちを自分たちで守る、という意識をみんなが持ってほしい。あと、人にやさしいまちづくり。防災、福祉、コミュニティが機能していて、お年寄りも子どももみんなが参加できるまちづくりをしていかないと。

そう語る古市さんには、もう一つ大きな夢があります。
今、子どものいじめや犯罪、自殺、たくさんの問題が起きているのは、家庭教育、学校教育に問題があるのではないですか。先生や親は、「頑張れ、頑張ったら夢は叶う」という教育をしますよね。それは悪いことじゃない。だけど、ほとんどの人は、夢を叶えられない。その人たちはどうなりますか?頑張るのはいい、でも、頑張ることと一緒に、感謝を教えないといけないと思います。自分が頑張れるのは、親やまわりの人たちのおかげ。頑張れることへの感謝を子どもたちに教えていかないといけない。感謝力のある人は、いじめや犯罪、自殺などしないし、あいさつもしっかりします。

感謝力が大きいほど、奇跡は起きるんです。だから、プロゴルファーになっても、町内会長も地域のボランティアも続けているんです。町内会長をやっているプロゴルファーなんて、ほかにいないでしょ?そんな暇あったら、練習してうまくなって勝とうと思うのが普通じゃないですか。でも、自分は練習をなるべくしないで、まちのために一生懸命働きながらもっと勝ちたい。それで、感謝力で奇跡が起きることを証明したいんです。

P1010923子どもたちの自殺やいじめのない世の中をつくりたい

感謝の心の大切さを講演会でも伝えてまわっている古市さん。人とのつながりはますます広がり、強くなっています。古市さんにはゴルフに関する著書もありますが、東日本大震災の後には、被災した人も含め、すべての日本人にメッセージを伝えたいと「もう一度立ち上がり、前を向くために、伝えておきたい」(2011年、ゴルフダイジェスト社)を出版しました。

この本を読んで心を動かされ、古市さんに岩手県陸前高田市から会いに来た青年がいました。震災前から続く祭りを復活させ、地域の復興に向けた活動をする彼のために、古市さんも寄付をしたり、鷹取地区の仲間と協力して、お祭りに使う和紙の飾りを作るのを手伝って送ったりしました。また、東日本大震災以来、奥様と一緒に一日100円の募金を続けています。
友だちにも呼びかけていて、100円募金をしてくれているみたいです。募金は10年は続けるつもり。貯まったら送っているんだけど、まとまった金額を持って東北に行きたいね。お祭りにも行ってみたい。東北はまだまだ復興が進んでいないところも多いけれど、みんなの力を合わせてやっていったら必ず乗り越えられる。

震災で失ったもの、亡くなった人、その悲しみは決して癒えるものではありません。しかし、古市さんは、心の大切さを知り、皆々様のおかげと思う感謝力が奇跡を起こしてくれているように思っています。「自分がやろうと思ってできることではない。奇跡を起こさせてくれる人がまわりに来てくれるんや」という古市さん。その「奇跡」に励まされ、新しい一歩を踏み出そうとする人が今日もどこかにいるはずです。


(取材・文/吉本紀子)
この記事はgreenz.jpの協力により作成されています

古市忠夫

1940年神戸市長田区出身。震災時は54歳。地元長田区鷹取商店街で「東洋カメラ店」を経営。阪神・淡路大震災により被災し、自宅と店舗が全焼した。趣味であるゴルフのバッグが被災から逃れた車のトランクに残っていたことから、「お前はこれで生きなさい」といわれたと一瞬感じた。その後、友人の勧めがきっかけで、プロへの挑戦意欲が沸き、還暦を迎えようとした2000年、日本プロゴルフ協会主催のプロテストに史上2位の年長で合格を果たした。

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