夢のある話
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ちょうど5時半くらいに、この子が泣き出して、朝早い時間にも関わらず、家族全員が目覚めていたんです。お腹が空いて泣いているようだったので、わたしは台所でミルクの用意をし、主人は長男のおねしょの世話をしてくれていました。そこに地震が起きて、とっさのことに訳もわからず、この子を中心に全員で覆いかぶさり、さらに布団をかぶって揺れが収まるまで4人でひとつになっていました。
長男は3歳になっていたので、記憶があるようです。しばらくは、屋根のあるところで寝るのをずいぶん怖がりましたしね。でも、誰も怪我せずにいられたのは、きっとみんなが起きていたからだと思うんです。家族で震災の話するたびに、「あのときカズが家族を起こしてくれへんかったら、誰かが怪我してたかもしれへん」「カズは、家族の救世主やな」と言ってるんです。
教科書にも載っていたけど、小学校、中学校のときは、1月17日が近づくと、なにかしら震災にまつわる授業がありました。家族のひとに話を聞いてきなさい、とか。小学校の頃は、1月17日には必ず隣の空き地に集まってみんなで黙祷したり、避難訓練をしたのを覚えています。
まだ避難生活されてる方がいらっしゃる小学校へ行き、泥かきをしました。震災からまだ5ヵ月、現地へ行く道すがらバスの窓から見る街はまだ、あちらこちらにがれきが残っていて、それを眺めながら「ああ、神戸もこんなんやったんかなぁ」って。それまで話に聞いていた景色を、初めて実感しました。いちばん印象的だったのは、野球部の代表として、現地の方とお話する機会のたびに、「そうか、神戸から来てくれたんやな、ありがとう」と、みなさんが口をそろえて「神戸」「神戸」と言ってくださることでした。
ひとつめは、「風化させない」ということ。僕らの世代が新たな聞き手となって語り部の減少をくいとめること。そして2つめは、「感謝を伝える」。フェイスブックを始めとするSNSで情報を伝播するなど、復興とともに育ったハタチのぼくらが感謝のメッセージを伝えたい、ということ。そして、どうしても叶えたいと思っているのは、20年の節目を迎える1月17日を目標に、オリジナルの「ホイッスル」を無料配布することなんです。
がれきの下敷きになった人が助けを呼ぶために、必要なんですよ。災害にあった直後、怪我をしていても大きな声で助けを求める人はたくさんいる。でも、その声が、救助や報道のヘリコプターの音にかき消されることが多いと聞いて、ショックを受けたんです。人を助けるため、より正確な情報を伝えるための行為が、命の声をかき消しているなんて…。それで、僕たちは、ヘリの音の中でも聞き分けられるホイッスルを、より多くの人の手に届けたいと考えたんです。大学生の力だけでは難しいかもしれませんが、神戸市職員のみなさんや、キャリア塾の講師である起業家の方などに相談しながら、実現に向けて今、3人の仲間と一緒に必死でもがいています。
まだ、社会に出て何になりたいかは決まっていないけど、大人になることは、純粋に楽しみです。そのために、学生のうちにやるべきことを、相当真剣に考えていますし。中学のときのクラブチームのコーチ、高校の野球部の監督、大学に入ってから出会ったたくさんの先輩、そして、兄。これまで出会ってきた人、尊敬する人は、みんな自分のなかに何か信念をもっていて、「軸」がしっかりしている。そこは絶対に見習いたい。それから、僕がそうしてもらったように、若い人の話をよく聞いて、決して偉そうににせず、人生を教えてあげられる、そんな大人になりたいです。