二十歳

熱い話

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「最前線に立ち、まちと人を守り続けたい」今できることに全力を注いで生きていく。消防士 萩原裕介さん

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今日も事故がないようにと祈りながら

学生時代からの夢をかなえ、消防士として日々奮闘中の萩原さん。消防士の勤務サイクルは24時間の交代制で、取材当日も勤務明けの午前8時ごろに火事が発生したため、出動していたそうです。

消防署には、ポンプ車、救急車、救助工作車(レスキュー車)とそれぞれの役割を持つ車両が並び、担当ごとに乗りこむ車両が決まっています。また、現場で全体の指揮をとる中隊長、車両単位でリーダーを務める小隊長の他、消火活動をおこなう隊員などの階級があります。
署内には大きくわけて消防係と救急係があり、僕が所属しているのは消防防災課の消防第一係という部署です。火事が発生すると、消火栓から水をひいて消火活動をおこなうポンプ車に乗って出動します。消防車は、市民の方々からおあずかりしている大切なもの。毎朝、火事や事故がありませんようにと祈りながら磨いたり、整備をしたりしています。

僕たち隊員は、中隊長や小隊長の指示のもとで活動します。火災発生時に限らず、たとえば高速道路で事故があったときなどは救急車と共に出動し、危険な事故現場で救急隊が安全に活動できるように管理する、という役割を担うこともあります。

0083萩原さんが担当しているポンプ車、いつもピカピカの状態に保たれている

消防士になろうと決意させた、父の背中と尊い命

阪神・淡路大震災が起きたとき、萩原さんは生後1ヵ月にも満たない赤ちゃんでした。萩原さんご自身は兵庫県加古川市にあるお母さんのご実家に帰省していて無事でしたが、お父さんとお兄さんは被害が甚大だった神戸市長田区で被災したそうです。消防士をめざしたきっかけは、消防士であるお父さんの存在が何よりも大きかったのだとか。
父も消防士で、物心がついたときからその背中を見て育ち、いつか僕も消防士になりたいと思っていました。もうひとつの大きなきっかけは、阪神・淡路大震災です。僕は生まれたばかりだったのでもちろん記憶はありませんが、震災によって、兄と祖母という2人の身近な存在を亡くして…。あのとき、僕は生まれたばかりで何もできなかったけど、これからは何かあったときに人を助けられる立場でいたいなと思ったんです。

家では父と仕事の話をほとんどしませんが、わからないことなどを聞くと、ていねいに教えてくれます。あまり多くを語る父ではありませんが、僕は父の背中を見て学んでいるのだと思います。

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今できることを精一杯、悔いのないように生きていく

消防士になるという夢に向かって、懸命に勉強して努力を重ねてきた萩原さん。その結果、念願かなって、高校を卒業後すぐに消防士として勤務を開始しました。

小学校から高校時代まではサッカー少年だったという萩原さん。ポジションは、相手ゴールに最も近いところにポジションをとり、得点をあげることを主な役割とするフォワードで、その影響もあるのでしょうか、萩原さんからはぐいぐいと突き進む前向きな姿勢を感じます。
僕は、興味のあることには負けん気を発揮するタイプかもしれません。消防士になったこともそうですし、趣味などにおいても全力を尽くす傾向があるような気がします。若いうちに、できることをしておきたい。幼くして亡くなった兄にも、生きていたらたくさんやりたいことがあったんじゃないかと思うんです。だから僕は兄の分まで精一杯、今できることをして、悔いのないように生きていきたいと願っています。

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救助隊として活動したい、さらなる夢をかなえるために

働きはじめて2年目、今はひとつひとつの任務をこなすことに必死なんです、と謙虚に言葉を続ける萩原さん。火災現場の場合、建物の形やまちの構造、気象条件などによって燃え方が常に変化します。現在の課題は、自分の役割を全うしながら周囲の状況にも目を配り、つねに迅速で適切に対応すること。これからもますます訓練や経験を重ねて、現場全体を見渡すことができるようになりたいそうです。

同席してくださった中隊長の森岡良喜さんに話をお聞きしたところ、周囲の状況を見ながら活動できるようになるまでおよそ5年、余裕をもって全体を見渡せるようになるには10年ほどはかかります、とのこと。森岡さんから見た萩原さんは、寡黙で芯が強く、常に冷静沈着。そんな萩原さんのさらなる夢は、救助隊になることなのだとか。
火災現場で炎に囲まれている人を、建物の中に入って身ひとつで救助したり、高い所にいる人や、穴に落ちてしまった人などを助けたりするのが救助隊です。体力や知識をはじめ、的確な判断力が求められる命がけの仕事ですが、自分の身体を張って、前線で人を助けられるようになりたい。父も救助隊を長く務めているので…いつか僕もそうなりたいんです。

0060萩原さんのさらなる夢は、救助隊として前線で人を助けること

生まれ育った神戸のまちを、これからも守り続けたい

火災や事故などさまざまな現場で必要なのは、冷静な判断力。どんなときもどんと構えて隊員を動揺させないことや率先して現場に立ち向かう責任感が必要なんです、と中隊長の森岡さんが教えてくださいました。先輩の背中を見ながら必要なことを学びとり、とにかく経験を重ねて蓄積していくことが何よりのトレーニングになるのだそうです。
日々の訓練では、1秒でも早くと気持ちが先走ってしまうこともありますが、あせると失敗を招いてしまうので、冷静でいるように心がけています。的確な指示が出せるリーダーになれるよう、トレーニングや現場での活動を重ねていくしかないなと思っています。

0097あらゆる面で頼りになる、中隊長の森岡さんとともに

静かな語り口とは対照的に、熱い想いを秘めている萩原さん。最後に、この神戸のまちで、今後どのような活動をしていきたいのかをお聞きしました。
僕は生まれも育ちも神戸で、20年間ここで生きてきました。これからも神戸で暮らし、消防署に勤務し続けるだろうと思います。阪神・淡路大震災でまちがこわれた状態を実際には見ていませんし、きれいな神戸しか知りませんが、このきれいな状態を保てるように、神戸のまちを守っていきたい。そして、どんな災害が起きても市民の方々を守れるように、常に現場の最前線で活動したいと思っています。

(写真/森本奈津美 取材・文 二階堂薫、山森彩)

萩原裕介

1994年12月生まれ。生後間もなく阪神・淡路大震災が発生し、兵庫県加古川市で被災。消防士である父の姿を見て育ち、中学時代から消防士を志す。神戸市消防局垂水消防署消防防災課消防第一係に所属。

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