教師

ためになる話

JP | EN

阪神・淡路大震災の経験をもとに、福島の高校生に学びの場を提供する。ふくしま学びのネットワーク理事・事務局長 前川直哉さん

「カタチあるものは壊れるが、学んだことは壊れない」という、灘高の先生の言葉が人生の指針に

現在、福島の高校生を対象に学びの場を提供する一般社団法人「ふくしま学びのネットワーク」の理事・事務局長の前川直哉さん。阪神・淡路大震災発生当時は、灘高等学校の3年生で、ちょうど、大学入試センター試験が終わった時期でした。

IMG_maekawa2一般社団法人「ふくしま学びのネットワーク」理事・事務局長の前川直哉さん
大学入試センター試験が1月14、15日で、16日に高校に行って、みんなで自己採点したんですよ。その後、仲の良かった同級生と一緒に三宮のカラオケボックスに行きました。それまでずっと勉強ばかりしていましたから、息抜きが必要だったんです。家に帰ってきて、次の日から二次試験対策の授業が予定されていましたので、ちょっとだけ赤本を開いて早めに寝ました。当時、両親と弟とJR立花駅の南側の7階建マンションの5階に住んでいました。

眠りが浅かったのか、震災がくるまえに「ゴーッ」という音が聞こえたのを覚えています。その後、ドンッと下からつきあげるような響きがあって、「うわっ」と思ったら、グラグラグラって横揺れが起きた。経験したことのない揺れでしたので、最初は大型トラックがマンションに突っ込んできたんだと思いました。途中で地震だとわかったんですが、どうしたらいいのかわからず、押し入れの扉が反動で開いて中から参考書がなだれ落ちてきたので、その空いた空間に頭を突っ込んでいました。

前川さんのご両親は自営業で、駅の北側で母は喫茶店、父は2階で麻雀荘を経営していました。両親、弟と共に無事でしたが、ベランダから外を眺めると、住宅街から火があがっているのが見えたといいます。朝になるのを待って、北側に住んでいる祖父母の安否を確認した後、喫茶店を見に行ったらドアや壁が壊れており、中はぐちゃぐちゃで悲惨な状態でした。これから生活をどうしたらいいのか、途方に暮れていたところ、支えになってくれたのは商店街や常連のお客さんでした。
震災の当日か翌日、同じ尼崎市内に住んでいて、被害があまりひどくなかった地域のお客さんが、車で迎えにきてくれてお風呂に入れてくれましたね。車で移動中、木造住宅が多いところはほとんど全壊していたり、道路もボコボコしていていたりして。車のラジオを聞いて、少しずつ状況がわかってきて、ただただびっくりしていました。その後、商店街の人たちがご飯の差し入れをしてくれたりと、みんなで助け合っていました。

前川さんはこれからの水や食料をどのように確保すべきかということに加え、両親の喫茶店の経営がどうなるのか心配でした。自分も弟も私立の高校に通っていて、両親は余裕がないなか一生懸命工面してきてくれたけれども、このまま進学すべきじゃないんじゃないか? そういった葛藤がありました。そんなとき、担任の先生から電話がかかってきて、励まされたといいます。
灘高がある東灘区は被災のひどい場所だったんです。なんとか高校の建物本体はもったので、最初はご遺体の安置所、その後は避難所になっていた。とてもじゃないけど、学校で勉強ができる状態ではなかった。3年生は震災後、授業はありませんでした。

1週間ほどして、担任の先生から大学受験のための調査書を渡したいから新大阪まで出てきなさいと電話がかかってきました。震災直後は電車は止まっていましたが、そのときは僕の実家の最寄り駅である立花駅から大阪方面は動きはじめていたんです。

そのとき、「こういうときこそ、ちゃんと勉強するんや」と先生にいわれました。最初は何をいっているんだろうと思いました。でもね、そのときの先生たちは僕たちのために、ぐちゃぐちゃになった職員室のなかから調査書を探し出して、電気があるところでプリントアウトしたりコピーしたりして作成していたんですよね。感謝してもしきれない。その後の卒業式でも、「カタチあるものは壊れるけど、人が学んだことや伝えたことは壊れない」といろんな先生方が言葉を代えておっしゃっていた。

「そうか、今、自分ができることは勉強なんだな」って、その言葉がずっと心に残っていました。

IMG_maekawa6「灘中学、高校時代はいい先生方や友人に出会えました」と話す、前川さん。高校時代の友人とは今でも連絡を取り合う仲だという

前川さんは第一志望の東京大学文科三類に無事、合格。同年の灘高の生徒の東京大学への合格率は例年とさほど変わらなかったといいます。あの震災下の環境を考えると快挙というほかありません。前川さんは大学入学後、生活費のためにバイトで始めた、学習塾の講師という仕事にのめりこんでいきます。
「教える」ということが楽しくて仕方がありませんでした。大学の授業よりも夢中になりましたね。そのままバイト先の学習塾に就職して4年間、勤務しました。その後、関西に戻り、ジェンダー史に興味をもち、その専門である小山静子先生のいる、京都大学の修士課程に進みました。

同時期に灘高の非常勤講師をつとめ、その後、正教員となります。灘高で充実した教師生活をおくっていましたが、前川さんの人生、意識を大きく変えたのが、2011年3月11日に起こった東日本大震災でした。前川さんは今でも阪神・淡路大震災のことで思い出せないことが複数あるといいます。それは、嫌な経験はすぐに忘れたいという子どもの頃の防衛本能かもしれないのですが、この東日本大震災が起こった時も、阪神・淡路大震災のことがフラッシュバックするようで、脳がスイッチオフの状態になったそうです。
震災や福島の原発のニュースを見ているんですが、そこから考えることに集中できなかった。本来なら震災後の3月、もしくはGWに被災地に駆けつけることもできた。実際、高校の行事が多い時期ではあり、時間を作るのが難しかったのは事実ですが、でも頭のどこかで、「行かねばならない」という意識があるんです。何ができるかわかりませんでしたけどね。

同年の8月に休みを取り、高校の同僚の先生と岩手県釜石に向かいました。被災地の想像を絶する状況を見て、なぜ自分はもっと早くこなかったのだろうと後悔しました。地震と津波の徹底的な違いは、地震はそのまま壊れたものがその場にあるけれども、津波はすべてさらっていってしまう。とにかく被災している地域の規模が膨大で、いいようもないショックを受けました。

前川さんは高校に戻り、生徒たちに被災地の状況を話したところ、生徒会の福祉委員会の委員長を筆頭に何人かの生徒が名乗りをあげて、翌年の3月に被災地を再訪することになりました。偶然、宮城県名取市で復興支援活動をしているNPOの代表が灘高で講演することになっており、そこでできた縁から宿やボランティアの指導をしてくださる方も手配してもらったそうです。

IMG_588711月29日に行われた、東京大学REASE公開講座「福島の高校生が、日本を元気にする」での前川先生。今回の公開講座は「ふくしま学びのネットワーク」の活動の1つである、「ふくしま高校生社会活動コンテスト」の優秀グループの活動発表が目的で行われた。
*東京大学REASEは「社会的障害」を共通のキーワードとして、2013年3月前に行っていた経済と障害の研究から、その研究対象を長期疫病や児童養護といった問題まで広げた新たな取り組み


また、加えて灘高と東北をつなぐ縁がほかにもありました。灘高出身の医師で東京大学医科学研究所の特任教授である上昌広先生と、同じく灘高出身の医師、坪倉正治さんです。上先生は震災直後から福島県相馬市への医療支援を行っており、同じく震災直後から坪倉さんは相馬市や南相馬市で内部被ばくの検査をずっとやっていました。上先生が前川さんの職場の先輩と同級生で、「名取までくるのだったら相馬までいらっしゃい」と声をかけてもらったことがきっかけで、福島の相馬高校の高校生と灘高校生が交流することになりました。そこで福島と灘高のつながりができたのです。
今まで福島や相馬はニュースで聞くところでした。交流することで「あの人がいる町」に変わったんです。それが僕にとっても生徒にとっても大きかった。その後、気仙沼とも縁ができ、毎年、夏休み、冬休み、春休みに気仙沼と相馬に生徒と共に訪れました。生徒たちの目で被災地の現状を見て、いろんな人の話を聞くことで得ることは多い。

また、福島にはたくさんかっこいい大人たちが集まっている。それは福島の高校の先生のような地元の人から、外から来ている人たちなどさまざまです。たとえば前述の坪倉くんは、生徒からすると灘高の大先輩で、東京大学理科III類から医学部にいったお医者さんで、そのままでも十分な肩書きなのに、南相馬に通って支援をしている。

僕は坪倉くんに「ただでさえ忙しいのにすごいね」といった時に、彼は「こういう時のために勉強してきましたからね」と答えたんです。「かっこいいなぁ!」って思いました。そういうことがすごく大事で、生徒たちは、自分たちが勉強しているのはこういう時のためかって、あるいは自分が将来こういう大人になりたいと思うと思うんですね。

IMG_maekawa5「日中友好交流事業 あいでみ」の高校生メンバーたちと公開講座の打ち合わせ

実際、被災地を訪れた灘高の高校生たちは、勉強に前よりも取り組むようになり、神戸の震災について学ぶようになったそうです。今の高校生はみな、阪神・淡路大震災後の生まれですが、「阪神・淡路大震災1.17のつどい」に参加したり、「人と防災未来センター」に初めて足を運んだりする生徒も増えました。震災20年に向けて灘高生が企画しているプロジェクトも、被災地を訪れた子どもたちが中心となっています。
福島の子どもたちは、ほかの地域の子どもたちと大きく変わらない部分も多いですが、まっすぐで、前向きで、地域をよくしようといろんな活動をしている子たちが多いんです。実際、一つ間違ったら、原発事故の後、大人を信じられなくなっていてもおかしくなかったのでは、とも僕は思うんです。それだけのことを僕たち大人はしましたから。でも、「医者になりたい」「先生になりたい」という子どもたちが多いのは、震災の後に、先生や親御さん、お医者さん、町の人、外からきたいろんな大人に助けてもらったからだと思います。自分自身を含め福島以外の大人は、福島の大人たちに感謝しなくてはいけない、と感じました。

福島の高校と灘高校の交流をきっかけに、今年の3月に灘高校を退職して、一般社団法人「ふくしま学びのネットワーク」を立ち上げました。福島の学校の先生方と緊密に連携しながら、福島の子どもたちの学びを応援し、つないでいくことが目的です。

具体的な活動としては、1つ目は「高校生無料セミナー・合宿」。人気英語参考書シリーズ「ユメタン」の著者であり灘高の教員である木村達哉先生や、代ゼミのカリスマ現代文の講師である藤井健志先生、福島県の数学トップセミナーを担当する数理哲人先生などによる、セミナーや合宿を実施。そのほかにもさまざまな講師が参加予定です。

2つ目は「大学生メンタープログラム」。東京大学REASEプロジェクトと連携し、大学生がメンター(助言者)となって、高校生を対象に学習法・進路などの相談にのるプログラムです。「大学ってどんなところ?」「自分の夢をかなえるには、どの学部に行くのが一番いいの?」など、進路や学習法についてアドバイスを無料で受けられます。

3つ目は「高校生 社会活動コンテスト」。こちらも東京大学REASEプロジェクトと連携し、ボランティア、社会貢献、復興、国際交流、まちおこし、製品開発など、県内高校生の社会活動を対象にしたコンテストを実施します。

そのほかに、灘高校をはじめとする県外高校との交流など、多くの活動が予定されています。

メンター大学生が高校生を対象に学習法・進路などの相談にのる、メンタープログラム

無料セミナー2カリスマ講師陣による、高校生無料セミナーの様子
これからの福島は雇用創出が計画されていますが、雇用があったとしても、そこに教育環境が整っていなかったら家族では越してこないでしょう。ファミリーに越してきたいと思わせるために、教育で自慢できる県にしなくちゃいけない。

また、これは大きな話になりますけれど、今の日本の学校教育はこれまでのやり方だと限界がきている。中高生の学校外の勉強時間はものすごく減っています。30年前から比べると、3分の2から約半分です。

理由の1つは少子化ですね。そんなにがんばらなくても大学に行けます。ではなぜ30年前、そんなに勉強をしたのかというと、当時はいい大学に行ったらいい会社に就職できて、いい暮らしができるという神話があったからです。なんで勉強するのかっていったら「あなたのためなの」と育てられる。

でも今の高校生って生まれてからずっと不況で、右肩上がりの日本を一度も経験していない。その子たちに30年前の神話は通用しないんです。だっていい会社にリストラもあるし、倒産することだってある。就職活動もたいへんで、東京大学に入っても就職活動でひーひーいっています。

IMG_maekawa11福島県立会津農林高等学校の早乙女踊り保存クラブによる、踊りの実演

IMG_maekawa10「日中友好交流事業 あいでみ」についての発表
そこで原点にもどる。なぜ、勉強をするのか。人を幸せにするためです。福島の子どもたちは自分が多くの人に支えられていることを知っていて、いつか自分も誰かを支える立場になりたいと思っている。誰かの力になりたいんだったら、力をつけなきゃいけない。そういう学びのカタチは日本全国で必要とされている。これまでの勉強とは違って、新たな学びの場が必要で、それを福島からつくっていきたい。

たしかに今の福島には課題がたくさんあります。けれど、福島の高校生の多くは、課題があるから人は学ぶし、課題があるから人は育つのだと考えていて、すごく前向きです。「誰かの役にたちたい」という主体的な学びにすごく熱心です。福島は主体的な学びを熱心に応援する県だとアピールできれば、福島で育ったことを子どもたちは誇りに思うでしょうし、福島に住みたいと思う人もどんどん増えていくのではないでしょうか。

IMG_5918
「福島の子どもたちを元気にしてあげなくては」ではなく、「福島の高校生が日本を元気にするんです」と前川さんはいいます。「誰かを幸せにするため、笑顔にするために学ぶ」という新しい学びのあり方を福島から日本へ、世界へ発信する日がくることが大きな目標です。


(取材・文/高山裕美子)

前川直哉

一般社団法人「ふくしま学びのネットワーク」理事・事務局長。1977年兵庫県生まれ。高校3年生の大学受験期間中に自宅で被災する。東京大学を卒業してから、教育関連の仕事に携わり、京都大学の大学院でジェンダー・セクシュアリティを研究し、著書を発行。母校である灘中学校・高等学校の非常勤講師を経て、灘中学校・高等学校の正教論になる。2014年に退職し、東京大学大学院経済学研究科特任研究員および、一般社団法人「ふくしま学びのネットワーク」の理事・事務局長に就任。

この記事を
シェアする


TOP


HOME