思わず身を乗り出す話
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目の前のものがくずれていく様子を目の当たりにして、形あるものをつくることから、形のないものをつくりたいなと意識が変わっていったんです。「ドングリ銀行」は私にとって、造形活動の延長線上にあるもの。自然の力や強さみたいなものを感じたことに加え、これから親になるんだという今までに経験したことのない実感もあり、価値観ががらっと変わりました。
明るくなってから自分の家を見て、ぞっとしました。その日は明け方まで1階で本を読んでいて、部屋を離れた直後に大きな揺れが起きたんです。もし、あのまま部屋で本を読んでいたら、助かっていなかったかもしれません。「おなかの子が助けてくれたんだね」と、みんなが励ましてくれました。
日ごとにおなかが大きくなっていく中での出勤はたいへんで…。毎朝、新聞に掲載されていた「今日の交通情報」を確認してから出勤していました。船を使って通勤したり、とにかくたくさん歩きましたね。あのころは、現在のように復興するなんて想像できませんでした。そんな中、それまではほとんどなかった、ご近所づきあいが当たり前になったのはすばらしかった。知らない人同士でも力を合わせることが、ごく普通のことだったんです。
テレビで紹介されているのを見て、「これだ!」とひらめいたんです。震災直後、家はくずれているのに庭木が残っているような風景をたくさん見ました。春になると、がれきが残るまちの中に緑が芽吹いて、なんとなくほっとしたんです。けれど、復興作業が進むにつれて、無事だった木々が伐採されてしまい、家が建てられ、道路がつくられていきました。そんなまちの様子を見ているうちに、いたたまれない気持ちになったんです。
木を育てるには時間がかかるし、まちの人や子どもたちを巻き込んで活動していくには、早く進めたほうがいいという焦りがありました。けれど、学校側はそれどころではない状況で。さらにいろいろ考えて、香川県の担当者に問い合わせをしてみると、とても協力的で…応援してくださることになったんです。
ボランティアの経験もありませんでしたし、ドングリのこともほとんど何も知らない状態からのスタートでした。ドングリを種として使うなんてこと、それまではありませんでしたしね。
活動をはじめてから気づいたんですが、ドングリって、子どものころから拾って集めて遊んできたせいか、だれにとってもなじみのあるものなんですよね。活動を継続していくには資金が必要だったので、「団栗(どんぐり)応援団」という資金面でサポートしていただくシステムをつくりました。使う目的がはっきりしているからという理由で、兵庫県外の多くの方々が応援してくださいましたね。
「ドングリネット神戸」副代表の中西收は、植物生態学を研究していて、とっても緑にくわしいんです。初対面ですぐに意気投合、一緒に活動することになりました。ドングリについてもそれはそれはくわしくて、たくさんの種類がある中で、葉っぱやドングリの帽子の形などからすぐに種類を見分けられるんです。私はたのしい企画を提案する「言いだしっぺ」で、彼は緑の専門家である「ドングリ博士」。いいコンビだなぁと思います。
知識もなく、育てるすべも知らなかったので、いろんな失敗を繰り返してきました。けれど、みんなからせっかくもらったドングリをむだにするわけにはいかないと、とにかく必死。手さぐりの活動をする中で、いろんな年齢、いろんな職業の方々と出会うべくして出会い、実現できたことがたくさんありました。
最終的な目標は「神戸のまちに森をつくる」こと。だから、個人と個人をつなぐことがすっごく重要なんです。ご家庭の庭にできるだけ苗を植えてもらって、緑を増やしてくださいねとお願いしました。
ありがたいことに、希望者が多くって。苗木業者の方が、市場に出せない苗木を提供してくださることになりました。また、ドングリ以外の苗木はほぼ100%といってもいいくらい、岐阜県の亀崎利治さんという方が育ててくださったものなんです。「ゴールドプラントマスター」と呼べるほど熱心に苗木を育てて、神戸まではるばる運んでくださいました。
六甲山系の西の端にある「おらが山」という、緑の少ない山を活動拠点に、「ドングリピクニック」などのイベントをはじめました。ドングリを拾って、遊んで、育てて、植える、ということをひとつのサイクルにして、緑を増やしていったんです。その活動は7年半続いて、今では木々がしげっているんですよ。
みんなから集めたドングリで遊ぶなんて不謹慎かなぁと思ったんですが、あまり堅苦しく考えないで楽しもう!と考えるようにしたんです。コマをつくって遊んだり、食べられるものはドングリごはんにして食べたり、草刈りや土づくりも一緒にやりました。子どもたちは、嬉々として参加してくれましたね。
緑を増やすことが目的なので、1日中ドングリで遊んだら、最後に必ず「1個だけでもドングリを植える」ことを大事にしています。その場で植えてもいいし、自宅で植えてもらってもいい。ドングリの実はよく知られていますが、発芽する様子を目にする機会はほとんどありませんよね。それだけに発芽の瞬間がとても感動的なので、みんなに見てほしいなぁと思うんです。
何度も参加してくれている子が「ぼくが育てた山やねんで!」と言ってくれた時は、とてもうれしかった。街路樹など、まち中の木々にはなかなか関心をもてないかもしれないけれど、自分たちが育てているんだと思うだけで、自然に対する意識は変えられると思うんです。楽しく遊んでいるうちに、気がついたら緑が増えていた!という流れが、理想的ですよね。
開園4年前の2006年から、「阪神・淡路大震災1.17のつどい」に来られた方々に、育てていただきたい旨をお伝えしながらドングリをお配りしていました。そして、2008年3月に初めての植樹会を開催したんです。あんまり集まらないだろうな…と思っていたところ、信じられないくらい大勢の方々がご家庭で育てた苗木を持って来てくださったんです。
開園当時は、まだ木が小さくて、森らしくなかったのですが…今では、ドングリの種子も実るようになりました。木陰ができて、間伐しなければならないほど大きく成長したので、本当にうれしくて。最初からできあがっている森よりは、みんなで森を育てていくところが「ドングリ銀行神戸」のいいところなんですよね。
苦渋の決断でしたが、活動も20年目になり、植えられる場所には植えて、あちこちで木々が育ってきたし、いい節目なのかなと。ドングリだけがどんどん集まっているのに、実際に植える場所がないというのは不誠実だ、とも思ったんです。
現在も、みなとのもり公園の運営会議のメンバーとして、毎月みんなで森の手入れをしています。この公園を活動拠点にすれば、「神戸のまちに、森をつくろう」というテーマを守り続けることができるんじゃないかなと。「ドングリ銀行」の仕組みそのものが魅力的なので、その冠がなくなることで普通の緑化活動になってしまわないよう、めずらしい種類のドングリを植えたり、新たなイベントの企画などをしているところです。ドングリから離れて、他の種類の木々を観察したり、何かをつくったりすることで、より自由に活動の範囲をひろげていけるのではないかと前向きに考えています。
自然との距離がこんなに近いまちはなかなかないから、神戸の財産だと思うんです。大切にするべきことをちゃんと意識して、神戸のまちらしさを残していきたいですよね。特に東灘区や灘区の方たちは、生活圏から六甲山が近いので、なじみのある裏山だという意識をお持ちなんです。だから「普通のこと」として、まちの緑や自然について考える機会が多いのかもしれません。
これまでは植樹という目に見える活動をしてきましたが、心の中では、子どもたちの心に木を植えたいなぁと願ってきました。人と森の共存が当たり前になり、「小さいころ、ドングリの木を植えたなぁ。ドングリで遊んだなぁ」といつか、少しでも思い出してくれるとうれしいですね。