行政職員

世界に誇れる話

JP | EN

地球規模で、神戸の下水道技術とノウハウを活かしていく。神戸市建設局下水道河川部長 畑惠介さん

038

機能が100%停止した、東灘処理場

阪神・淡路大震災の直前は、下水道河川部で技術開発の係長を務め、下水処理水の有効利用を進める事業などにたずさわっていたという畑さん。震災発生後、全部で7カ所あった神戸市内の下水処理場のうち、4カ所は処理能力をキープ。残りの2カ所にもそれぞれ被害はあったものの、比較的はやく復旧作業がおこなわれました。

しかし、市内最大の東灘処理場が100%機能停止状態に。ポンプ施設から処理施設へ水を送る配管は破損し、地下水の噴出によって地下にあった機械や電気設備が水没して使い物にならなくなったため、仮復旧するまでに約100日かかったといいます。

hata (13)処理場への汚水流入部分の破壊

hata (11)汚水処理施設の破損


住民のみなさんの協力を得て、運河を仮設処理場に

下水処理場が使えないとなると、処理していない汚水を海へ流さなくてはなりません。震災の翌日、下水処理に関わる管理職が集まって、本当にそれでいいのか、今後どう対処していくべきかを議論した結果、すぐそばにある全長300m・幅40mの運河を仮処理施設として使うことに決まったそうです。けれど、運河にそのまま汚水が流れこむため、漁業関係者の理解を得ることや、どうしても発生してしまうニオイなどについて住民の方々に理解してもらうことが必要でした。
漁業関係者や地域住民の方には「1日も早く復旧するよう努めるので、運河を仮処理施設として使わせてください」とお願いしてまわりました。「こういう状況なら、仕方ないですね」と理解してくださったので、さっそく仮処理施設の建設を開始したんです。

hata (3)運河を締め切った、仮設の水処理施設の全景

春になって気温が上がると運河から漂うニオイも強くなり、周辺地域での生活にも影響が表れ始め、「一体いつまで続くんだ!」という厳しい声もあがったそうです。職員は復旧の進行状況を住民の方々に伝えるとともに「5月にはなんとか元の状態に戻します。ですから、もうしばらくご辛抱ください」とお願いにまわり、住民の方々からさらなる理解を得て、処理を継続したのだとか。

その結果、被災した処理施設は、1995年5月には下水処理ができる状態にまで仮復旧。けれど、仮処理施設として使用していた運河の底には、下水を処理する工程で発生した汚泥(おでい)が100日分たまっていたため、それらを除去し、きれいな状態に戻すのにさらに3カ月ほどかかったそうです。

087現在の下水処理施設。手前に見えるのが遊歩道となった運河の護岸


処理場が、地域の憩いの場に変身

復旧が進むと、運河沿いの河岸に遊歩道が誕生しました。関係者しか入ることのできなかったエリアの一部を一般開放、散歩やジョギングが楽しめる空間が生まれました。また、アーモンドの木々が花を咲かせる季節には「アーモンド並木と春の音楽会」を、これまでに10回以上開催しているのだとか。多い時には1万人もの人々が訪れる催しとなりました。

067春にはピンクの花を咲かせるアーモンド並木と、下水処理水を使用したビオトープ


この20年を支えたバイブル「こうべ下水道みらい2025」

震災前の1994年から研究チームを結成し、下水道の地震対策に取り組んでいた、畑さん。関西でも下水に被害が起こる可能性があると考え、災害時の対応も含めた勉強会を行っていたそうです。
1994年に策定した「こうべ下水道みらい2025-神戸市下水道長期計画基本構想」は、神戸の下水道をこういう方向性で進めていきますよ、と2025年までの指針を記したもので、「都市の発展とくらしを支える下水道」「自然環境を守り育てる下水道」「市民と共にあゆむ下水道」という3つの柱で成り立っています。阪神・淡路大震災の教訓を活かして、「災害に強い下水道」「災害時にも活用できる下水道」という視点を盛り込み、1996年1月に改訂しました。この構想で示された考え方は、この20年を支えてくれたバイブルみたいなものですね。

hata「こうべ下水道みらい2025-神戸市下水道長期計画基本構想」

この計画が発表されてからは、処理場のネットワーク化や自然環境を守り育てる活動など、処理水の提供によってまちづくりに貢献する取り組みを次々に実現してきた畑さん。ネットワーク化とは、地下に通した大きなパイプでそれぞれの処理場をつなぎ、万が一、処理場の機能が停止したときには、機能を保持した別の処理場へ、工事なしで下水を送ることができる大きな仕組みのことです。
このネットワークは、下水システムの改築をおこなう時などに使用できます。処理場のリニューアルを実現するためには、広大な敷地が必要となります。けれど、そのたびに土地を購入するわけにはいきません。そこで、このシステムを利用すれば、敷地の広い別の処理場へ水を送ることができるため、その間にリニューアルを進められるのです。処理場を相互につなぐことで改築に向けての選択肢が広がり、臨機応変に対応できるようになりました。


下水処理水を活かした、魚も泳ぐせせらぎを

神戸市では、まちなかのせせらぎ、街路樹の散水、人工島であるポートアイランドや六甲アイランドのトイレ用水、大学の敷地内にある噴水などにも下水処理水が使われています。阪神・淡路大震災で被害の大きかった兵庫区には、住民や子どもたちの憩いの場となる全長800mのせせらぎが誕生しました。実はこれも、下水処理水を再利用してつくられたものなのだとか。
ふだんはまちのうるおいになり、非常時には防災利用できるというコンセプトは、震災時の大火災を教訓としてみんなで考えたことでした。神戸市兵庫区の松本地区のみなさんから提案をいただいて、ぜひとも実現したいと考えました。まちなかにせせらぎをつくるには、まず都市計画上の問題があり、道幅の調整が必要なので、道路部などの他の部署も関係してきます。縦割り行政ではなかなかむずかしいことなのですが、複数の関係部署がアイデアを出しあって完成させた、すばらしい事例です。

0松本せせらぎ写真神戸市兵庫区・松本地区のせせらぎ

けれど、適切に処理してあるとはいえ、もともとは下水を利用したもの。何年か経つと、「そんなところで子どもたちを遊ばせていいの?」という声が。みんなで出し合った解決策は、あるお母さんの言葉が発端でした。
魚が泳ぎ、子どもが水遊びができる環境にしたかった。そのために下水処理水をどこまで消毒するのかが、ひとつの大きな課題でした。塩素をたっぷり投入した水にすれば、子どもたちへの衛生上の安全性は高まりますが、魚が泳ぐことはできません。けれどそれでは、そもそも何を目指しているのかがわからなくなってしまいます。

「そんなところで子どもたちを遊ばせていいの?」という問題について、専門家や地域の方々と話し合いました。そのなかで、あるお母さんが「子どもが砂場で遊んだあと、その手でごはんやお菓子を食べますか?あれと一緒ですよね。水遊びをしたら、しっかりと手を洗ってからごはんを食べるようにと教えればいいのでは?」と発言してくれたことで、みなさんが納得したんです。あのお母さんの言葉が、原点に立ち返るいい機会になったのかもしれません。


掃除の後の、せせらぎばた会議

畑さんたちは衛生面での安全の確保と、魚がすめる環境との両立が図れるように水質管理をしっかりおこない、地域の人々にはお子さんの手洗いの指導を依頼。現在も地域のみなさんと話し合いながら、せせらぎの維持管理を続けているそうです。また、松本地区では月に2回、日曜日を利用した定例の清掃活動がおこなわれているのだとか。掃除がおわったら、ジュースを飲みながらの井戸端会議ならぬ、せせらぎばた会議が繰り広げられているなど、まちにせせらぎがあることで、地域のコミュニティが形成されているようです。
せせらぎをきれいにしておかないと、ゴミを捨てる人が出るんです。自分たちの手で維持管理していくことで、まちを大事にする気持ちがわいてくるんですよね。参加者が減ったり、高齢化が進むなどまだまだ課題はありますが…せせらぎが誕生したころは200人くらいの人々が集まっていましたね。


日本で初めて実用化した、こうべバイオガス

神戸市では2008年から、汚泥から発生する消化ガスを高度精製した「こうべバイオガス」を自動車燃料として活用しています。消化ガスは二酸化炭素など、ガス以外の物質を含んでいて、有効活用がむずかしかったのですが、民間会社の技術を活かして共同研究をおこなった結果、不純物をとりのぞいた純粋なバイオガスを精製できるようになったといいます。

076東灘処理場のこうべバイオガスステーション、ちょうどバスが給ガス中

現在、東灘処理場のバイオガスは場内のエネルギーとしての利用の他に、市バスを走らせる燃料や、都市ガスとして活用されています。バイオガスの実用化は、日本で初めて。事前に登録しておけば、トラックなどにガスを補給できるようになっています。現在は、1日に50台ほどがガスの補給に訪れており、乗用車なら1回の給ガスで約200km走れるのだとか。
バイオガスを自動車燃料として供給するためには、いつでも供給できる状態でなければなりません。余裕をもってバイオガスを確保しておかないと、事業としては成り立たないんです。そうなると、余ったら捨てることになってしまう…。安定供給を可能にし、バイオガスを有効に利用するため、使用量が多い大阪ガスのネットワークに注入させてもらうことにしました。今では、約3,000世帯分のガスを供給しているんですよ。


災害に対応できるリーダーシップを担うのが使命

阪神・淡路大震災では壊滅的な被害を受けた、東灘処理場。しかし、現在は海外を含め、1年に1,000人ほどが視察や見学に訪れるなど、国際的な存在となりました。さらに、下水道は地方自治体が担う事業だからこそ、その役割は大きい、と畑さんは言葉を続けます。
下水道に関しては、被災経験のある神戸市が、日本の中で災害対応のリーダーシップをとっていくことが重要です。阪神・淡路大震災が発生した時、さまざまな都市が神戸にかけつけて災害復旧の手伝いをしてくださいました。神戸市として、あのときの恩返しをすることは非常に大切なことだと思うんです。


「どこかで大地震があれば、このファイルを持って応援に行く」

ここで畑さんが取りだしたのが「永久保存」と記された、ぶ厚いファイル。背表紙には、「どこかで大地震があれば、このファイルをもって応援に行く」と大きな文字で書かれています。
自然災害では、下水道がダイレクトに被災することはほとんどないため、担当職員は災害査定に慣れていません。また、たいていの都市は災害査定の書類をつくった経験もないのが普通。だから私たちは阪神・淡路大震災の経験を活かして、報告書をこのファイルにまとめ、全国どこにでも応援にいけるよう準備しているんです。

045災害査定に必要な書類がぎっしりつまった「永久保存ファイル」

災害が発生した時、地方公共団体は災害復旧に必要なお金を国に負担してもらうことができます。けれど、そのためにはまず国へ申請して災害査定をおこなうことが必要です。そのための申請書類をつくることも、役所の大事な仕事なのです。その関係書類をまとめたのが「永久保存ファイル」であり、伝票などの具体的な資料も大切に保存しているといいます。
今でこそ、インターネットやメールがあるので、この「永久保存」ファイルはほとんど必要ないのかもしれませんが、2004年に発生した新潟県中越地震の際には、このファイルの一部を増刷してかけつけました。災害復旧の支援では、神戸市の職員はたいてい支援本部に配属されます。災害復旧のノウハウを伝える、明らかな使命があるからです。

東日本大震災が発生した後、福島県に派遣された多くの神戸市職員が、復興支援の現地対策本部で中枢部の頭脳として活躍したそうです。相互に連携している下水道関係者の間には、復興支援活動を通してつながった確かな絆があるのだとか。そういう関係を大切に、対策を強化していこうという取り組みが現在も続いているのです。


地球規模で、神戸の技術を活かしていく

資源の有効利用など、神戸市が持っているノウハウを国際的に展開し、地球規模で神戸市の技術を活かしていく取り組みも実行したいと語る畑さん。最後に、これからの神戸の下水道事業が担う役割について、お聞きしました。
大事なことは2つあります。1つは、老朽化してきた施設を更新して、健全性を確保していくこと。地味な取り組みではありますが、機能が停止して下水道が使えなくなってしまうのは大変なことなんです。もう1つは、浸水対策。近年、土砂災害が増えていますが、2004年には神戸市でも中心部の三宮で大規模な浸水が4回もありました。ですから、浸水対策についても日ごろから問題意識を抱いて、市民のみなさんに協力していただきながら対策を立てていくことが重要です。



(写真/森本奈津美 取材・文/二階堂薫、山森彩)

畑 惠介

神戸市建設局下水道河川部長。神戸市職員歴35年のうち33年間、下水道事業にたずさわる。阪神・淡路大震災発生時には被災した下水道施設の復旧に、以後は災害に強い下水道づくりやバイオガスなどの下水の資源化に取り組んできた。現在も国内はもちろん、世界にむけてそのノウハウを発信し続けている。

この記事を
シェアする


TOP


HOME