漫画を描くことが、自分にできることだった
少女漫画雑誌『マーガレット』で神戸・北野の異人館街を舞台にした「あるいとう」を連載中の、ななじ眺さん。1995年、19歳でデビューした直後に阪神・淡路大震災が発生しました。当時は、兵庫県南部に位置する加西市の実家に住んでおられたそうです。
あの時はちょうど、漫画を描いている最中でした。数日前から高熱を出して寝込んでいたのですが、どうしても原稿を仕上げなければならなくて。揺れがひどく、インクがこぼれてしまったのを覚えています。幸い、大きな被害はなかったのですが、家族全員、いつでも逃げ出せるようにと同じ部屋に集まっていました。被害がどんどんひどくなっていく様子をテレビで見ているうちに居ても立ってもいられなくなって、高熱にもかかわらず、ボランティアに行こうとしたんです。その時、父から「自分にできることは他にあるだろう」と言われて、はっとしました。今の私にできること…それは、漫画を描くことなのだと。
ななじさんは高校生のころ、雑誌に初投稿。2年後に『マーガレット』でデビューを果たします。
漫画家になりたかったというよりも、子どものころから純粋に漫画が好きで、人になにかを伝えたいという気持ちが強かったように思います。絵や詩、小説を書くことも好き。中でも「一番身近で、私にできること」が漫画だったんですよね。
王道の恋愛漫画を描いてきたけれど…
現在は少女漫画家として知られるななじさんですが、デビュー当時は少しとんがった作風だったのだとか。担当の編集者さんから「読者は、かわいいものを求めているんですよ」とアドバイスを受けたことで、恋愛ものへ方向転換していきます。以後は「パフェちっく!」や「コイバナ!-恋せよ花火-」など、数々のヒット作を発表。けれど、時が経つにつれて気持ちが変化していったのだとか。
王道といわれる路線の少女漫画を、もちろん好きで描いていたのですが…。「こういうシーンはこう描けばいいんだ」なんて、だんだんパターンが定着してしまって。そろそろ、違うこともやりたいなという気持ちが高まっていきました。
「好きなことをしてもいい年ごろなんじゃない?」
その後、ななじさんにさらなる転機が訪れます。担当の編集者さんが「好きなことをしてもいい年ごろなんじゃない?」と背中を押してくれたことをきっかけに、それまでとは違う、明るいとは言えないストーリーに挑戦してみることになったのです。こうして、神戸・北野を舞台した「あるいとう」の連載がスタートしました。
「あるいとう」は神戸弁で「歩いている」という意味で、阪神・淡路大震災を扱った作品です。だからでしょうか、ずっと評価の高かった読者アンケートの結果が想像以上にふるわず、編集者さんもおどろいてしまって…。それでも「あるいとう」を描かせていただいていることに、心から感謝しています。明るさやかわいさが求められる『マーガレット』で、むずかしいテーマを掲げているなぁと自分でも思っていますから。
「あるいとう」と関係が深い、神戸北野美術館のテラスにて
震災は、神戸を舞台にした物語には欠かせない
「あるいとう」では、神戸の名所である北野の異人館街が限りなく忠実に描かれています。神戸で暮らしている人でさえ、「こんな場所があったんだ!」と新しい発見の連続にびっくりするほど。
物語は、阪神・淡路大震災が発生する5日前に生まれた「くこ」を中心に展開します。震災でお母さんを亡くした「くこ」は、お父さんとふたり暮らし。お母さんの願いどおりに「強く明るくたくましく」生きようとする「くこ」と、彼女をとりまく人間関係に恋愛の要素が織り交ぜられたストーリー。その設定に欠かせなかったのが震災のシーンだったのだと、ななじさんは言葉を続けます。
阪神・淡路大震災にまつわるシーンは、描くのにとても苦労しました。だれも傷つけたくないし、だからといって気にしすぎてしまったら、本当のことを描けなくなってしまう。あの時、私はひどい揺れを感じたものの被災したわけではないので、経験したことを第三者の視点で描くことしかできないんですよね。でも、だからこそ表現できる言葉や絵があるのかもしれません。
忠実に描かれた神戸のまちなみ ©ななじ眺/集英社マーガレットコミックス
作者自身の内面が投影された、登場人物
阪神・淡路大震災を経験した神戸への想いにあふれているからでしょうか。「あるいとう」にちりばめられた言葉には、すみずみに至るまで凛とした重みを感じます。
漫画家は本来、登場人物を客観視しながら描くものなのですが、私の場合は自分の内面をそれぞれのキャラクターに映し出しています。「あるいとう」の登場人物はみんな、私そのもの。強さや弱さ、私という人間のすべてがあちこちに投影されています。だからこそ、描きながら彼らになりきることで、ごく自然にセリフが生まれてくるのかもしれません。
震災で倒壊した家屋の下敷きになり、身動きがとれないながらも「くこ」を守り抜くお母さん。火災が起き、すぐそこまで炎が迫りくる中、家族をすくうために「早くいきなよ」とお父さんに告げる印象深いシーンがあります。
私も母親なので、同じ局面に遭遇したら「はやく逃げなさい」って言うだろうなと思いながら描きました。なぜか私は強い人間だと思われがちなのですが、つきあいが長くなると「本当はつらい過去や経験があるのに、強がっているんだね」と言われることが多くって。そういうところも、主人公の「くこ」と重なるんですよね。
「あるいとう」でおなじみの、北野町東公園そばの坂道
ひとつひとつの光が照らす、それぞれの人生と尊い命
「あるいとう」の連載を開始してすぐに、東日本大震災が発生。このまま描き続けるべきかどうか、ななじさんはとても悩んだそうです。インターネット上のレビューには「作品に震災の要素を入れなくてもいいのでは?」という意見も寄せられたのだそう。
なにがなんでも震災漫画を描きたい!というわけではないんです。でも、神戸を舞台にした漫画を描くなら、阪神・淡路大震災は切り離せないものだと考えました。神戸で暮らす人たちにとって、震災を経験したことは人生の一部。ひとりの人間として考えた時に、震災を扱うことはどうしても避けられないことでした。
印象的な場面のひとつに、「阪神・淡路大震災1.17のつどい」に「くこ」が参加するシーンが挙げられます。それは実際に、神戸市役所のすぐそばにある東遊園地で、毎年行われている追悼行事。震災で亡くなった方々に祈りを捧げ、震災の経験を語り継いでいくためのとても静かな儀式です。そのつどいに初めて参加した「くこ」は、「ふだんは笑っている人たちも、心に抱えているものがある。それでも、誰かのために笑っているんだ」と大きな気づきを得るのです。
このシーンには、私が初めて「阪神・淡路大震災1.17のつどい」に参加したときの印象や想いを込めました。竹灯ろうに火をともした瞬間、涙を流す人々の姿が目に飛びこんできて。心に傷を抱えている人たちが、泣くことをゆるされている時間なのかもしれないと感じたんです。たくさんの人々が亡くなったという事実、ひとつひとつの光に人々の人生や命の尊さが投影されていることに心が揺さぶられ、しばらく涙が止まりませんでした。
ななじさんの経験をもとにして描かれた「阪神・淡路大震災1.17のつどい」のシーン ©ななじ眺/集英社マーガレットコミックス
神戸弁は、物語の大事なエッセンス
神戸・北野を舞台にしようと決めたななじさんは、その土地で暮らす人たちの気持ちを少しでも理解したいと願って、界隈をていねいに散策したそうです。「あるいとう」全巻の表紙には北野のまちなみが描かれており、登場人物のセリフには主に神戸弁が登場します。
実在している場所を描くと、その土地を愛している方々がこだわりを持って読むんじゃないかと思ったんです。神戸の人たちは、とても強い地元愛をお持ちです。だから言葉も、まちについても、震災のこともずいぶん調べてから描きました。
何日も、坂道をあちこち歩きまわったというななじさん。あるみやげもの屋さんで「北野に住んでいる、高校生くらいの女の子を紹介してもらえませんか」とお願いしたところ、近くでアルバイトをしていた(当時)高校生と大学生の女の子を紹介してもらえたのだそう。「このあたりに住んでいる女の子は、どこでデートをしているの?」など具体的な質問をしたり、リアルな神戸弁を教えてもらったり。その時に知り合った彼女たちには今も、神戸弁の監修をお願いしているのだそうです。
実は、この神戸弁が物語の大事なポイントのひとつ。同じ関西弁でも地域によってニュアンスが少しずつ異なるため、登場人物の個性を表す重要なエッセンスなのです。神戸弁を用いた「あるいとう」というタイトルからも、言葉に対するななじさんの強いこだわりがうかがえます。
2014年11月25日発売、「あるいとう」第8巻の表紙 ©ななじ眺/集英社マーガレットコミックス
神戸は、変わらないまちであってほしい
神戸のまちに愛着を持って物語を描き続けている、ななじさん。実際に住んだことはないけれど、幼いころから何度も遊びに来たことがあり、神戸は思い出深い場所なのだそうです。
いつまでも、変わらないまちであってほしいなぁと思います。きっと、どのまちにいても同じですよね。自分の知っているものが少なくなっていくのは、やっぱりさびしい。なかよくさせてもらっていたお店が閉店してしまったり、作品で描いた建物が別のものになっていたり…。神戸を舞台にした漫画を描いていると、まちが変化していく様子がよく見えてくるんですよね。
これからも描き続けていく、という覚悟
「絵は描けといわれて描くものではない。描かずにはいられないものだけが描くものだ」というのは、「あるいとう」に出てくるセリフ。まるで、ななじさんご自身のメッセージのように聞こえます。登場人物にご自身を投影しながら、少女漫画としては異色の物語を描き続けていくには、相当の覚悟が必要なのではないでしょうか。
絵が好きで、ずっと描き続けてきました。本当に描きたいのなら、たとえどんなにしんどくてもつらくても、描き続けるものだと思うんです。「描きたい」というより、「描かなければならない」という気持ちが強いのかも。もちろん時々、少女漫画の王道的な要素を入れたほうがいいのではないかと迷うこともあります。けれど、それでは一般的な少女漫画になってしまう。本当は人気がある方がいいのですが、読者アンケートの反応が少なくてもいいから、人の心の深いところへ染み込んでいく作品にしたいなと。だから、このまま突き進もうと思っています。
ポニーテールを結ぶことで、自分を無理やり笑顔にする主人公「くこ」 ©ななじ眺/集英社マーガレットコミックス
漫画は本来、つらい現実をわすれて楽しんでもらうもの。けれど「あるいとう」では、それぞれの持つ重い過去やつらい現実と向きあいながら生きていく様子をリアルに描き込んでいます。どちらがいいということではなく、私は漫画に秘められた可能性を広げていきたい。こんな漫画があってもいいんじゃないか、と思うんですよね。読者のみなさんに、こういう想いが少しでも伝わればいいなと日々願っています。
(写真/森本奈津美 取材・文/二階堂薫、山森彩)