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イベントレポート

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「阪神・淡路大震災と人生」「神戸の過去20年と未来」について、共に考える

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阪神・淡路大震災から20年を迎えるにあたり、震災で得た教訓や知恵を集め、世界に伝えていくプロジェクト「震災20年 神戸からの発信」。そのプロジェクトの一環として、2014年10月19日に講演会&パネルディスカッションが開催されました。

小説家・真山仁氏による講演「阪神・淡路大震災と作家人生」

第1部には、『ハゲタカ』などの経済小説を中心に、ベストセラーを次々に生み出している小説家の真山仁さんが登場。阪神・淡路大震災の体験談や、2014年3月に刊行された、東日本大震災を題材にした小説『そして、星の輝く夜がくる』について、とても熱く語られました。

※ 真山さんの小説家人生や震災体験について、くわしくはインタビューページをご覧ください。
「20年前の被災経験をもとに、東日本の被災者にエールを送る」

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なぜ、生き残ったんだろう、という想い

神戸市垂水区の自宅で、阪神・淡路大震災が起こる30分前まで原稿を書いていたという真山さん。ほとんど被害はなかったものの「なぜ、生き残ったんだろう」という想いが今でも消えず、震災後は余生を送っているように感じているといいます。「あの時、だれかひとりでも、どうしてそう思うのかと聞いてくれる人がいれば、何か変わったかもしれない」と考え、「もっと強くなろう」という気持ちが強まっていったのだとか。

東北の大地を染めた、キリンソウ

2011年に起こった東日本大震災と前年に発表した作品をきっかけに、真山さんは小説『そして、星の輝く夜がくる』の執筆をスタート。阪神・淡路大震災の被災経験を持つ教師が東北の小学校に派遣されて…被災地にいる子どもたちや大人の心情や状況がいきいきと描かれた作品となりました。
震災後、明るくふるまう子どもたちの様子を伝える報道に違和感を感じていたんです。子どもたちは「明るくしなきゃ」と必死だったのではないだろうかと。だから、大人に見えない子どもたちの目線で、どうがんばって、どう生きていけばいいのかを書きたいと考えました。

東日本大震災が発生してから現在に至るまで、被災地の変化を見守りたいと、小説の取材をかねて岩手県や宮城県を頻繁に訪れているという真山さん。今年、久しぶりに訪れた被災地にはとても大きな変化が見られたそうです。
2012年まで、ヘドロと海水の被害で植物が生育する環境ではなかった内陸部に、2013年の夏ごろから木や草が生えはじめました。先日訪れた際には、どの場所へいってもキリンソウが咲いていて…あたり一面、真っ黄色に染まっていました。自然は自らの力で復興している。けれど、少しずつ元に戻りつつある風景を見ながら、この先、津波の記憶は残っても、人々はいろんなことをわすれてしまうんだろうなと思ったんです。小説は経験を客観的に伝えることができ、登場人物を通して感情まで表現できる。小説だからこそ、経験した人の声を伝えていくことができるのではないかと思っています。

大事なことは「だれに、どのように」伝えるか

ここからは質疑応答を交えながら話が展開、神戸市が進めている「震災20年 神戸からのメッセージ発信」プロジェクトにも話が及びます。経験したことをどう伝えるか、が大事なのだと語る真山さん。
このプロジェクトでは、多くの方の証言を集めていますよね。そこで重要なのは「だれに、どのように」伝えるか。神戸市民の約4割が阪神・淡路大震災を経験していない時代になったからこそ、経験者の声がいっそうリアルに響くと思うんです。

「震災20年 神戸からのメッセージ発信」概要

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この20年間、生き残ったことに後ろめたさを抱きながら歩んできたという真山さんは今後、そんな想いを伝えることをライフワークにしていきたいのだと語ります。
震災について考える時、中心に置いてほしいのは生き残った人がたくさんいるということ。震災は悲劇だけど、今いる人たちがどうやって生きていくのかを考えることが大事なのではないかなと。経験をただ伝えるだけでなく、記憶を伝えていくことが重要なんです。とにかく、経験者の話に耳を傾けてほしい。そうすることで、この20年という節目に何を伝えるべきかが、みえてくると思うんです。

20年経った今だからこそ、できることがきっとあるはず。真山さんの経験や実感、強い意志がまっすぐに伝わってくるひとときでした。

パネルディスカッション「神戸の過去20年と未来について」

第2部では、阪神・淡路大震災以降、まちを元気にする活動に取り組んでこられた方々をゲストスピーカーにお迎えして、パネルディスカッションが繰り広げられました。世代も住んでいる地域も、背景が異なる3人はそれぞれ、どんな想いで活動を続けてこられたのでしょうか。

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背景も世代も異なる3人が、コツコツ続けてきたこと

「神戸クロスロード研究会」の代表理事をつとめる浜尚美さんは、阪神・淡路大震災発生当時、妊娠4ヵ月。神戸市の職員で、獣医師の仕事をしていましたが、ちょうど産休中で出勤できなかったのだそうです。
2004年に災害対応ゲーム「クロスロード」に出会い、すっかり魅せられてしまいました。クロスロードは、次々にきびしい決断をせまられるリアルな災害対応シュミレーションゲーム。チームにわかれて、たとえば「あなたは、神戸市の職員です。自宅は半壊しているが、家族は無事。しかし、家族は心細い状態にある。電車は止まっている。あなたは、出勤するか出勤しないか」という問題に「イエス」か「ノー」をカードで答え、その理由を述べ合うものです。

クロスロードは防災のためにつくられたものですが、子どもの安全や子育てにまつわる取り組みにも応用できるのだとか。
このゲームの答えには、正解がありません。それでも、少しでも災害発生時の心がまえを学んでもらえればいいな、という一心で活動を続けています。

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続いて、一級建築士で「下町レトロに首っ丈の会」代表の山下香さんが登壇。山下さんは、阪神・淡路大震災で被害の大きかった神戸市兵庫区で生まれ育ちました。震災発生当時は、イギリスへ留学の下見に出かけていたとか。震災が起きたことを知り、すぐに帰国した山下さんは、その災害規模にただただおどろいたといいます。やがて、留学を終えて神戸に戻った山下さんは、下町のよさをもっと発信できないかと考えはじめます。
神戸の兵庫区や長田区南部の下町には、野球ボール型のカステラを実演販売しているお店や、映画の看板絵師さんのアトリエなど、地域の「お宝」だといえる人や場所がたくさん存在します。ただ古いだけのイメージをレトロな雰囲気に変えることはできないか、と活動を開始したんです。

2005年に活動をはじめ、地元の人たちだけが知る下町レトロ地図を発行。2011年までは月に1度のペースで下町遠足ツアーを開催し、協力してくださったのは約300人にのぼるといいます。
さらに住民グループの会を発足して、現在は3ヵ月に1度のペースで下町遠足ツアーを実行中。20代から70代まで老若男女が集まり、ツアーの内容から企画していくんです。現在、まちをつくっていているのは、震災の経験がないという人たちが大半。こういう活動が、地域の財産やコミュニティを共有していくきっかけになると思うんですよね。

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最後は、大学を卒業する直前に、東日本大震災の復興支援を目的に起業した時井さん。阪神・淡路大震災発生当時はまだ4歳で、兵庫県三木市に住んでいたそうです。その後は小学校から高校時代まで、防災教育が盛んな静岡県で過ごすことに...。
静岡で触れた防災教育の影響もあって、防災というワードが意識の片隅にありました。神戸の大学に進学して防災について学び、東日本大震災が発生した2011年の10月に「神戸ともしびプロジェクト」をスタート。津波の被害で真っ暗になった被災地で、恐怖や心細さを感じたり、防犯面の危険性を危惧するなどしているという声を聞いて、街灯を贈ろうと決心したんです。

大学で有志を募り、神戸市長田区の商店街などで募金活動をスタート。2011年12月には、宮城県南三陸町に14本の街灯を送付。その後も被災地の特産品や素材を使った商品を販売し、支援を継続しています。
支援活動を継続していきたいという想いから、ビジネスとして経済面から被災地を応援しようと会社を設立しました。地域再生と被災地復興の両方を担うことができればいいなと考え、阪神・淡路大震災以降、産業が衰退していた神戸市長田区の職人さんと共に革小物の商品開発などを手がけています。

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阪神・淡路大震災をきっかけにした、活動テーマ

浜さんは、阪神・淡路大震災のおよそ1年前まで、震災の被害が甚大だった東灘区に住んでいたそうです。
引っ越しの時期が違っていたら、どうなっていたのかわかりません。「生かされているのかも」と強く感じています。同時に、災害はどこでも起こりうるものなのだなと思いました。今では、地域の防災や防災教育が私の人生のテーマになっています。

震災以降、課題を解決するための活動は多くありましたが、魅力を発掘していく活動はなかった、と山下さんは語ります。
友人や地元の人に聞いても「自分のまちには魅力がない」って言うんです。けれど今までの活動から、きらきらと輝くものが必ず見えてくる。きっとどんな地域でも、独自の魅力があると思うんですよね。

阪神・淡路大震災発生当時は4歳で、震災の記憶がほとんどない時井さんが震災について意識したのは、大学に通っていたころのことでした。
所属していたゼミでコンペティションに参加したことをきっかけに、被災した方にインタビューしたり、資料を読んだりして、当時の様子を知ることができました。阪神・淡路大震災の経験をもとに、どうやって後世に語り継いでいくか…が今の活動につながっている気がします。

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小さなことでいい、できることを継続すること

ディスカッションの締めくくりに、「社会のために何かしたい」と考えている若者へ、メッセージをいただきました。
何かひとつ、「自分の強み」や「心から熱中できること」を見つけて、発信できればいいですよね。若者が地域の活動になかなか参加してこないという話を聞くこともありますが、彼らを受け入れる土壌があるかどうかも問題なんです。想いを伝えたり、受け止めたりするコミュニケーションの場をつくっていくことが、まずは必要なのではないかなと思います。
(浜さん)

平日は仕事をしながら、10年間コツコツと活動を続けてきました。「自分にできる、ちょっとしたことを見つけること」が大事。みなさんの今後の取り組みの参考になればいいなと思います。
(山下さん)

今の活動で最も大切にしているのは「自分にできることを、自分の範囲でやる」ということ。どんなに小さくてもいいから、できることを探し、それを実現できるように行動していくこと。まずは、探すところからはじめれば、きっと何かにつながると思います。
(時井さん)

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参加者からは「地域活動や震災についての想いを、さまざまな視点で見つめることができ、自分の考えの幅が広がった」という声が。阪神・淡路大震災で経験したことも、活動も異なる真山さん、浜さん、山下さん、時井さんですが...「自分にできること」を見つけて、地道に活動を続けてこられたところに共通点を見いだすことができます。真山さんのお話にもあったように、大切なことは、今生きている私たちが地道に「記憶」を伝えていくこと。阪神・淡路大震災から20年という節目に、今回のお話が何を伝えていくべきかを見つめ直すきっかけになったことは、いうまでもありません。

(写真/森本奈津美 取材・文/山森彩)

真山 仁

小説家。1962年大阪府生まれ。1987 年同志社大学法学部政治学科卒業。新聞記者、フリーライターを経て、2004 年「ハゲタカ」(講談社文庫)で小説家デビュー。近著に「グリード」(講談社)、「そして、星の輝く夜がくる」(講談社)など。神戸市在住。

浜 尚美

神戸クロスロード研究会 代表理事。1995年阪神淡路大震災直後は神戸市職員(獣医師・衛生監視員)として長田区の避難所を回り、食料やトイレなどの衛生指導を行なう。2004年、災害対応ゲーム「クロスロード」と出会い、2005 年9 月に職員有志と「神戸クロスロード研究会」を設立。2006 年神戸市退職後は、「子育て」「地域防犯」「子どもの安全」「環境問題」など、身の回りにある様々な場面で、「クロスロード」を使った対話を展開すべく活動している。

山下香

一級建築士、流通科学大学非常勤講師。神戸市兵庫区育ち。中学生の頃、北野・塩屋・須磨離宮前など近代洋風建築が溶け込む景観を見て、鉄工所と駄菓子屋が隣接する自分の町とのギャップに衝撃を受ける。震災直後の1995年から英国立グラスゴー大学、フランス国立パリ建築大学ラ・ビレット校で建築を学び、足下の宝に気付く。2005 年、住民による地域資源の発掘・発信・共有を目的とした「下町レトロに首っ丈の会」を結成。

時井勇樹

 ㈱レヴァーク代表取締役。阪神淡路大震災発生当時は4 歳で三木市在住。大学在学時にゼミの活動で防災について学んだことがきっかけとなり、被災地支援を目的として起業。長期に渡り応援したいという想いから、ビジネスとして経済面から支援を行うことを決める。現在は、長田の伝統産業「靴」の製造技術を生かした革小物の開発・販売を行うとともに、気仙沼産の鮫革・桑(マルベリー)・椿のブランド化を進行中。

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