イベントレポート
JP | EN
震災後、明るくふるまう子どもたちの様子を伝える報道に違和感を感じていたんです。子どもたちは「明るくしなきゃ」と必死だったのではないだろうかと。だから、大人に見えない子どもたちの目線で、どうがんばって、どう生きていけばいいのかを書きたいと考えました。
2012年まで、ヘドロと海水の被害で植物が生育する環境ではなかった内陸部に、2013年の夏ごろから木や草が生えはじめました。先日訪れた際には、どの場所へいってもキリンソウが咲いていて…あたり一面、真っ黄色に染まっていました。自然は自らの力で復興している。けれど、少しずつ元に戻りつつある風景を見ながら、この先、津波の記憶は残っても、人々はいろんなことをわすれてしまうんだろうなと思ったんです。小説は経験を客観的に伝えることができ、登場人物を通して感情まで表現できる。小説だからこそ、経験した人の声を伝えていくことができるのではないかと思っています。
このプロジェクトでは、多くの方の証言を集めていますよね。そこで重要なのは「だれに、どのように」伝えるか。神戸市民の約4割が阪神・淡路大震災を経験していない時代になったからこそ、経験者の声がいっそうリアルに響くと思うんです。
震災について考える時、中心に置いてほしいのは生き残った人がたくさんいるということ。震災は悲劇だけど、今いる人たちがどうやって生きていくのかを考えることが大事なのではないかなと。経験をただ伝えるだけでなく、記憶を伝えていくことが重要なんです。とにかく、経験者の話に耳を傾けてほしい。そうすることで、この20年という節目に何を伝えるべきかが、みえてくると思うんです。
2004年に災害対応ゲーム「クロスロード」に出会い、すっかり魅せられてしまいました。クロスロードは、次々にきびしい決断をせまられるリアルな災害対応シュミレーションゲーム。チームにわかれて、たとえば「あなたは、神戸市の職員です。自宅は半壊しているが、家族は無事。しかし、家族は心細い状態にある。電車は止まっている。あなたは、出勤するか出勤しないか」という問題に「イエス」か「ノー」をカードで答え、その理由を述べ合うものです。
このゲームの答えには、正解がありません。それでも、少しでも災害発生時の心がまえを学んでもらえればいいな、という一心で活動を続けています。
神戸の兵庫区や長田区南部の下町には、野球ボール型のカステラを実演販売しているお店や、映画の看板絵師さんのアトリエなど、地域の「お宝」だといえる人や場所がたくさん存在します。ただ古いだけのイメージをレトロな雰囲気に変えることはできないか、と活動を開始したんです。
さらに住民グループの会を発足して、現在は3ヵ月に1度のペースで下町遠足ツアーを実行中。20代から70代まで老若男女が集まり、ツアーの内容から企画していくんです。現在、まちをつくっていているのは、震災の経験がないという人たちが大半。こういう活動が、地域の財産やコミュニティを共有していくきっかけになると思うんですよね。
静岡で触れた防災教育の影響もあって、防災というワードが意識の片隅にありました。神戸の大学に進学して防災について学び、東日本大震災が発生した2011年の10月に「神戸ともしびプロジェクト」をスタート。津波の被害で真っ暗になった被災地で、恐怖や心細さを感じたり、防犯面の危険性を危惧するなどしているという声を聞いて、街灯を贈ろうと決心したんです。
支援活動を継続していきたいという想いから、ビジネスとして経済面から被災地を応援しようと会社を設立しました。地域再生と被災地復興の両方を担うことができればいいなと考え、阪神・淡路大震災以降、産業が衰退していた神戸市長田区の職人さんと共に革小物の商品開発などを手がけています。
引っ越しの時期が違っていたら、どうなっていたのかわかりません。「生かされているのかも」と強く感じています。同時に、災害はどこでも起こりうるものなのだなと思いました。今では、地域の防災や防災教育が私の人生のテーマになっています。
友人や地元の人に聞いても「自分のまちには魅力がない」って言うんです。けれど今までの活動から、きらきらと輝くものが必ず見えてくる。きっとどんな地域でも、独自の魅力があると思うんですよね。
所属していたゼミでコンペティションに参加したことをきっかけに、被災した方にインタビューしたり、資料を読んだりして、当時の様子を知ることができました。阪神・淡路大震災の経験をもとに、どうやって後世に語り継いでいくか…が今の活動につながっている気がします。
何かひとつ、「自分の強み」や「心から熱中できること」を見つけて、発信できればいいですよね。若者が地域の活動になかなか参加してこないという話を聞くこともありますが、彼らを受け入れる土壌があるかどうかも問題なんです。想いを伝えたり、受け止めたりするコミュニケーションの場をつくっていくことが、まずは必要なのではないかなと思います。
(浜さん)
平日は仕事をしながら、10年間コツコツと活動を続けてきました。「自分にできる、ちょっとしたことを見つけること」が大事。みなさんの今後の取り組みの参考になればいいなと思います。
(山下さん)
今の活動で最も大切にしているのは「自分にできることを、自分の範囲でやる」ということ。どんなに小さくてもいいから、できることを探し、それを実現できるように行動していくこと。まずは、探すところからはじめれば、きっと何かにつながると思います。
(時井さん)
真山 仁
小説家。1962年大阪府生まれ。1987 年同志社大学法学部政治学科卒業。新聞記者、フリーライターを経て、2004 年「ハゲタカ」(講談社文庫)で小説家デビュー。近著に「グリード」(講談社)、「そして、星の輝く夜がくる」(講談社)など。神戸市在住。
浜 尚美
神戸クロスロード研究会 代表理事。1995年阪神淡路大震災直後は神戸市職員(獣医師・衛生監視員)として長田区の避難所を回り、食料やトイレなどの衛生指導を行なう。2004年、災害対応ゲーム「クロスロード」と出会い、2005 年9 月に職員有志と「神戸クロスロード研究会」を設立。2006 年神戸市退職後は、「子育て」「地域防犯」「子どもの安全」「環境問題」など、身の回りにある様々な場面で、「クロスロード」を使った対話を展開すべく活動している。
山下香
一級建築士、流通科学大学非常勤講師。神戸市兵庫区育ち。中学生の頃、北野・塩屋・須磨離宮前など近代洋風建築が溶け込む景観を見て、鉄工所と駄菓子屋が隣接する自分の町とのギャップに衝撃を受ける。震災直後の1995年から英国立グラスゴー大学、フランス国立パリ建築大学ラ・ビレット校で建築を学び、足下の宝に気付く。2005 年、住民による地域資源の発掘・発信・共有を目的とした「下町レトロに首っ丈の会」を結成。
時井勇樹
㈱レヴァーク代表取締役。阪神淡路大震災発生当時は4 歳で三木市在住。大学在学時にゼミの活動で防災について学んだことがきっかけとなり、被災地支援を目的として起業。長期に渡り応援したいという想いから、ビジネスとして経済面から支援を行うことを決める。現在は、長田の伝統産業「靴」の製造技術を生かした革小物の開発・販売を行うとともに、気仙沼産の鮫革・桑(マルベリー)・椿のブランド化を進行中。