イベントレポート
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1995年は、多くのボランティアが神戸に訪れ、それぞれの活動がNPOに発展するなど「ボランティア元年」と呼ばれました。また、仮設住宅では、社会的弱者といわれる方々の入居が優先的に進められ、その結果、コミュニティの衰退や孤独死の問題など多くの課題が生じてしまったのです。東北ではその経験が活(い)かされて、コミュニティ単位での入居が考案されました。
自然災害を未然に防ぐことはできませんが、心掛け一つで被害を最小限に抑えることは可能です。生活の個人化、少子高齢化が進み、地域のつながりが希薄になるなど、コミュニティの地盤が弱いところに災害が起こると被害はいっそう大きくなりますが、人のつながり(ソーシャルキャピタル)が強いところは回復力も強いのです。震災を経験している方々は「お宝市民」、私たちの財産です。私たち行政も共に、この経験を伝える活動を、普段の生活の中で地道に長く続けていきたいと思います。
僕は、震災のときに神戸にいなかったのがトラウマになっているんです。そのことを指摘されるのが悔しくて、「まちあそび」というやり方で、懸命にまちづくり活動に取り組んできました。
さまざまな復興支援活動に参加する中で人と出会い、僕自身が成長させてもらいました。今の学生にもそれを体感してほしいと思い、大学と地域をつなぐ活動を行っています。
まちは復興したけれど、問題を抱えている人が大勢いることをそのときに知ったんです。それから、NPO法人を立ち上げて「シンサイミライノハナPROJECT」という震災の経験を未来に伝えていく活動を続けています。
でも、ある人に、「震災を知らない、ということを先に相手に伝えた方がいいよ」と言われ、はっとしたんです。どこか知ったかぶりをして構えているところがあったんですね。でもそれからは肩肘張らずに、被災した方々と向き合えるようになりました。知らないなりに、できることをやっていけばいいと思えるようになったんです。
成長するには、いろんな人の背中を見るのが早いんです。そのために、自らコミュニティに飛び込んでその経験をしてほしい。僕たちは、震災をきっかけにそういう経験ができたけれど、現代の学生でもできることなんです。
忘れるために活動しているのに、あえて「震災復興」という言葉を使う必要はないと思ったんです。でも、震災は神戸のまちを見直すきっかけになって、そこから「地域愛」が生まれた。ひょっとしたら僕は、「震災」という言葉を使わずに、震災で経験した思いや事実を伝える活動をしてきたのかもしれません。
これからの神戸は「人と人とをつなぐ」デザインの最先端都市であってほしい。人と人がつながってアクションを起こしていく機能をもっと発展させて、人中心の神戸にしたいです。(内平さん)
これからも、まちを見直し、惚れ直してもらえるような活動を続けていきたいですね。(慈さん)
慈 憲一
大学時代から灘を離れそのまま就職するも、震災を機に帰灘。灘愛をテーマにしたフリーペーパー「naddism」、メールマガジン「naddist」を発行。その他灘イベント、灘ツアーを開催。2006 年に灘区グローカルサイト「ナダタマ」開設。現在は、有限会社六甲技研の代表を務めながら灘百選の会・摩耶山再生の会など地域活動に取り組む。
内平 隆之
2011年より兵庫県立大学環境人間学部エコ・ヒューマン地域連携センターの専任講師を務める。2012 年同センター長代理、2013年同大学准教授。神戸大学工学部在学中、20歳の時に阪神・淡路大震災を経験して、以降、大学から地域に飛び出し、大学と地域が連携して取り組む様々な研究・教育・社会貢献の現場で活躍。その経験やノウハウを活かし、大学と地域をつなぐ仕組みづくりを実践的に研究。地域資源を活用したまちづくりや都市農村交流など、播磨地域や阪神間で手がけている。
西川 亮
2009年に神戸芸術工科大学を卒業、「シンサイミライノハナPR OJ EC T 」を企画。その後、プロセスとカタチのデザインを大切に、地域や社会課題解決に取り組むデザイン会社として、NPO法人Co. to. hana を設立。社会の問題や地域の課題に対して、デザインが持つ「人に感動を与える力」「ムーブメントを起こす力」「人を幸せにする力」で課題解決を目指す。
古川 厚夫
34歳時に阪神・淡路大震災を経験。以降仮設住宅関連、災害給付、六甲道南復興再開発事業等に従事。経験を活かし1999年のトルコ北西部地震にて復興支援。2011年の東日本大震災では宮城県名取市にて復興支援。一方2006年に「神戸・トルコ友好協会」を設立し事務局長に。防災をはじめ両国の懸け橋となるよう市民レベルの交流に取り組む。
西村 勇哉
NPO法人ミラツク代表理事。大阪大学大学院にて人間科学(Human Science) の修士を取得。人材育成企業、財団法人日本生産性本部を経て、2008 年より開始したダイアログBAR の活動を前身に2011 年にNPO 法人ミラツクを設立。 Emerging Future we already have( 既に在る未来を手にする)をテーマに、社会起業家、企業、NPO、行政、大学など異なる立場の人たちが加わる、セクターを超えたソーシャルイノベーションのプラットフォームづくりに取り組む。