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イベントレポート

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「神戸の経験を日本に、そして世界に伝えるために何が可能か」を共に考える

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2015年1月17日、兵庫県を中心に大阪府などが大きな被害を受けた阪神・淡路大震災から20年が経過します。その間、私たちは東日本大震災をはじめとする数々の自然災害を目の当たりにし、命の尊さや人と人とのつながり、防災への意識を見つめ直し、語り合うことで実際の行動につなげていくための「場」や「きっかけ」をそれぞれに経験してきたことでしょう。
特に被害が甚大だった神戸市では、あの震災から20年を迎えるにあたって、震災で得た教訓や知恵を集め、世界に伝えていくプロジェクト「震災20年神戸からの発信」がスタート。
2014年7月11日、そのプロジェクトの一環として、「震災20年を語ろう」と題したイベントが開催されました。

神戸市民の約4割が、震災を経験していない今だから

現在、神戸市民の約4割が、阪神・淡路大震災を経験していないといわれています。そんな今だからこそ、震災を経験した世代が震災の記憶を伝え、震災を経験していない世代と思いを共有しながらこれからの神戸を考えていくための「場」や「きっかけ」づくりが重要です。
この日は、あらゆる年代の方々が約80名、神戸市内外から集結。復興支援活動を続けているゲストスピーカーと共に、震災で起こった事実や経験したことをどう伝えていくのかを語り合う貴重なひとときとなりました。

「経験」と「ノウハウ」が、神戸の財産

はじめに、阪神・淡路大震災をはじめとする国内外の災害復興支援に携わってきた神戸市広聴課長の古川厚夫さんが、ご自身のご経験を交えながら当時を振り返りました。

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阪神・淡路大震災は、約350万人が密集する、経済活動が盛んな都市で起こった直下型の大地震。まちなみや人々の心に与えた影響はもちろん、都市の機能や産業面にも大きなダメージをもたらしましたが、この震災を通して多くの学びがあったことも事実です。
1995年は、多くのボランティアが神戸に訪れ、それぞれの活動がNPOに発展するなど「ボランティア元年」と呼ばれました。また、仮設住宅では、社会的弱者といわれる方々の入居が優先的に進められ、その結果、コミュニティの衰退や孤独死の問題など多くの課題が生じてしまったのです。東北ではその経験が活(い)かされて、コミュニティ単位での入居が考案されました。

神戸の財産はこの「経験」、すなわち「ノウハウ」であると古川さんは続けます。
自然災害を未然に防ぐことはできませんが、心掛け一つで被害を最小限に抑えることは可能です。生活の個人化、少子高齢化が進み、地域のつながりが希薄になるなど、コミュニティの地盤が弱いところに災害が起こると被害はいっそう大きくなりますが、人のつながり(ソーシャルキャピタル)が強いところは回復力も強いのです。震災を経験している方々は「お宝市民」、私たちの財産です。私たち行政も共に、この経験を伝える活動を、普段の生活の中で地道に長く続けていきたいと思います。

それぞれの立場で、できることから

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ここからは、NPO法人ミラツク代表・西村勇哉さんのナビゲートにより、ゲストスピーカーを交えてのトークセッション。先ほどの古川厚夫さんに加え、神戸市灘区で地域活動に取り組む「ナダタマ」の慈(うつみ)憲一さん、兵庫県立大学准教授の内平隆之さん、NPO法人「Co.to.hana(コトハナ)」代表の西川亮さんが登壇しました。
ちなみにゲストの4名は、20代~50代。世代も被災した場所も、その後の活動方法もさまざまですが、震災をきっかけに、それぞれの場所でまちを元気にする活動に取り組んでこられたことは共通しています。

慈さんは当時、東京で働いていました。震災後、会社を辞めて神戸に戻ります。

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僕は、震災のときに神戸にいなかったのがトラウマになっているんです。そのことを指摘されるのが悔しくて、「まちあそび」というやり方で、懸命にまちづくり活動に取り組んできました。

内平さんは、神戸大学の学生だった20歳のとき、神戸市灘区で被災しました。

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さまざまな復興支援活動に参加する中で人と出会い、僕自身が成長させてもらいました。今の学生にもそれを体感してほしいと思い、大学と地域をつなぐ活動を行っています。

西川さんは、震災当時は大阪在住の小学2年生。その後、神戸芸術工科大学の学生だったころに震災15年の事業に関わって、ご遺族の方からお話を聞く機会がありました。

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まちは復興したけれど、問題を抱えている人が大勢いることをそのときに知ったんです。それから、NPO法人を立ち上げて「シンサイミライノハナPROJECT」という震災の経験を未来に伝えていく活動を続けています。

震災を知らなくても、できることはある

最年少の西川さんは、震災を知らない自分に何ができるのか、悩み続けたそうです。実際に、「震災を知らないのに、なぜ活動するのか」と厳しい意見を投げ掛けられたこともありました。
でも、ある人に、「震災を知らない、ということを先に相手に伝えた方がいいよ」と言われ、はっとしたんです。どこか知ったかぶりをして構えているところがあったんですね。でもそれからは肩肘張らずに、被災した方々と向き合えるようになりました。知らないなりに、できることをやっていけばいいと思えるようになったんです。

震災を知らない若い世代と活動を共にしている内平さんは語ります。
成長するには、いろんな人の背中を見るのが早いんです。そのために、自らコミュニティに飛び込んでその経験をしてほしい。僕たちは、震災をきっかけにそういう経験ができたけれど、現代の学生でもできることなんです。

キーワードは地域愛、人と人をつなぐデザイン

一方で「まだ気持ちの整理ができていない」と語る、内平さん。震災当時、社会人だった慈さんも同じような思いを抱いているからでしょうか、彼らには、「震災」という言葉を前面に出さずにまちづくりに携わっているという、もう一つの共通点がありました。

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忘れるために活動しているのに、あえて「震災復興」という言葉を使う必要はないと思ったんです。でも、震災は神戸のまちを見直すきっかけになって、そこから「地域愛」が生まれた。ひょっとしたら僕は、「震災」という言葉を使わずに、震災で経験した思いや事実を伝える活動をしてきたのかもしれません。

それぞれの思いを率直に語った3人。これからの神戸に、どんな思いを寄せているのでしょうか。現在、石巻で復興支援活動に取り組む西川さんは、現地で多くの神戸の人に出会うそうです。その活躍ぶりを見て、神戸は復興支援活動の土壌が豊かなんだなと実感したとか。さらに、内平さんと慈さんが言葉を続けます。
これからの神戸は「人と人とをつなぐ」デザインの最先端都市であってほしい。人と人がつながってアクションを起こしていく機能をもっと発展させて、人中心の神戸にしたいです。(内平さん)

これからも、まちを見直し、惚れ直してもらえるような活動を続けていきたいですね。(慈さん)

私たちの言葉や行動で、経験を伝えていこう

続いて、参加者がグループに分かれての、ワークショップが行われました。「震災20年の神戸の経験を日本に、世界に伝えるために何が可能か?」をテーマに「神戸の好きなところ」や、それぞれの震災体験を交えながら、熱い対話が繰り広げられました。最後に、「震災20年を迎える神戸で、未来へ伝えていきたいこと、誇れること」を付せんに書き、それぞれの思いを託しました。
今回のイベントで特に印象的だったのは、阪神・淡路大震災を知らない神戸市民が約4割もいるという事実でした。参加した方からも、「いろんな立場や年代の人が参加していることに驚きました」「震災を経験していなくても、自分にできることをやっていけばいいんだと思いました」など、前向きな声が多数寄せられました。

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今もなお、うまく整理できない思いを抱えている方が大勢おられるのだろうと思います。神戸の経験を伝えていくのは、私たち一人ひとりの言葉と行動。「知らないこと」や「抱えきれないもの」の重みに臆することなく、ありのままに伝える活動を続けていけたらいいなと思いました。


(取材・文/山森 彩)

慈 憲一

大学時代から灘を離れそのまま就職するも、震災を機に帰灘。灘愛をテーマにしたフリーペーパー「naddism」、メールマガジン「naddist」を発行。その他灘イベント、灘ツアーを開催。2006 年に灘区グローカルサイト「ナダタマ」開設。現在は、有限会社六甲技研の代表を務めながら灘百選の会・摩耶山再生の会など地域活動に取り組む。

内平 隆之

2011年より兵庫県立大学環境人間学部エコ・ヒューマン地域連携センターの専任講師を務める。2012 年同センター長代理、2013年同大学准教授。神戸大学工学部在学中、20歳の時に阪神・淡路大震災を経験して、以降、大学から地域に飛び出し、大学と地域が連携して取り組む様々な研究・教育・社会貢献の現場で活躍。その経験やノウハウを活かし、大学と地域をつなぐ仕組みづくりを実践的に研究。地域資源を活用したまちづくりや都市農村交流など、播磨地域や阪神間で手がけている。

西川 亮

2009年に神戸芸術工科大学を卒業、「シンサイミライノハナPR OJ EC T 」を企画。その後、プロセスとカタチのデザインを大切に、地域や社会課題解決に取り組むデザイン会社として、NPO法人Co. to. hana を設立。社会の問題や地域の課題に対して、デザインが持つ「人に感動を与える力」「ムーブメントを起こす力」「人を幸せにする力」で課題解決を目指す。

古川 厚夫

34歳時に阪神・淡路大震災を経験。以降仮設住宅関連、災害給付、六甲道南復興再開発事業等に従事。経験を活かし1999年のトルコ北西部地震にて復興支援。2011年の東日本大震災では宮城県名取市にて復興支援。一方2006年に「神戸・トルコ友好協会」を設立し事務局長に。防災をはじめ両国の懸け橋となるよう市民レベルの交流に取り組む。

西村 勇哉

NPO法人ミラツク代表理事。大阪大学大学院にて人間科学(Human Science) の修士を取得。人材育成企業、財団法人日本生産性本部を経て、2008 年より開始したダイアログBAR の活動を前身に2011 年にNPO 法人ミラツクを設立。 Emerging Future we already have( 既に在る未来を手にする)をテーマに、社会起業家、企業、NPO、行政、大学など異なる立場の人たちが加わる、セクターを超えたソーシャルイノベーションのプラットフォームづくりに取り組む。

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