みんな

アンケート結果

JP | EN

震災を経験していない方に聞きました
Q. 阪神・淡路大震災を経験した人との温度差を感じたことはありますか?

今となってはあまり感じる事は無いが、1.17の集いなどを見ると、やはり体験を持つ人はいまでも重いものを、背負っておられるのだと思う。

当時:北海道札幌市
現在:西区
男性 41歳 会社員

バーの常連同士の会話でふと地震の話題が出たとき、テレビ報道の内容などは被災したときの生活の現実とは乖離があって、メディアで知り得ることは無難に伝えやすく切り取られた一部に過ぎないということを、よく知っているなと感じます。

当時:神奈川県平塚市
現在:灘区
男性 41歳 会社員

妻が震災体験者ということもあり、話を多く聞いているので温度差を感じることはほとんどない。

当時:東京都 現在:灘区
男性 41歳 会社員

神戸ルミナリエでカップルがいちゃついているのを見て「震災犠牲者の鎮魂と被災地の復興を願って開催されているんだよ」と話すと、そのカップルは逆切れし、不快な思いだけが残りました。

当時:愛知県半田市
現在:大阪府和泉市
男性 43歳 自営業

地震に対する直接的な恐怖は、体感した者とそうでない者とには大きな開きがある。

体感した者は、震度4クラスの地震でも反射的に外に飛び出そうとされる。私はぼーっとしているだけ…

当時:広島県
現在:兵庫県西宮市
男性 39歳 コープこうべ

修学旅行に行っていたのは家族の中で私だけですから、震災の話になるたびに、実家でおこった怖い体験談、食べ物の入手などの話を聞きますが、温度差を感じることはありません。揺れは感じなくとも、その後の長い復興の道のりを経験したからだと思います。

当時:中央区
現在:中央区
女性 36歳 自営業

「人と未来防災センター」で語り部のボランティアさんたちの話を聞くと、身近な地域で実はこんなことが起こっていたんだ…と痛感することが度々あった。

当時:神奈川県大和市
現在:西区
男性 41歳 会社員

当時は東京勤務で、阪神・淡路大震災の話など話題になったが、温度差を痛切に感じた。

東京では他人事の様に、関心がすぐに薄れていった。これで良いのかと思う一方、日本人として、忘れられる事の切なさを感じた。

当時:東京都
現在:東灘区
男性 51歳 電機メーカー営業

特にはありません。

被害や大きさの差はありますが、大阪であの揺れを体験しましたし、神戸の大学に通いこの街を知っていたし、大学も被害があったり、交通網の影響で4ヶ月近く通えなかったり、学校関係者や友人が亡くなったりもしたので、温度差は全くないです。

でも、今でも思うのが、あの時、もし数時間後に起こっていたら、通学途中の電車の中か、街の中かで震災に遭っていたと思います。どうなっていたのかもわかりません。

そういった意味でも、何とも言えない思いはやはりあります。

当時:大阪府大阪市
現在:東灘区
女性 40歳 音楽家

怖い目に合わなかったので、震災後しばらくは被った人に罪悪感があった。

ポートライナー等の復旧工事にSVとして昼夜従事していた中で、観光気分で来て自分たちの写真を撮り、奇声を発する者がいたことに腹立たしさを感じた。

当時:長田区
現在:長田区
男性 61歳 会社員

保護者の方や体験者の方からは「これからの時代にしっかりと知識を受け継いでいって欲しい」ということをよく言われます。しかし、いくら話や写真を見ても「そういうことがあったのだなぁ」と他人事のように感じてしまうこともあります。

男性

東北のボランティアに行ったときに、神戸の学校から来たことを教えると、親近感を持ってくれる人が多いのだが、自分自身が被災した経験を持っているわけではないので、複雑な気分になる。

大阪府堺市
男性 17歳 高校生

「ここはこんなに大変だった」という体験談を聞いても実感がわかない。

京都府宇治市
男性 16歳 高校生

特にありません。当時はまだ生まれていなかったと経験者に説明すれば、たいてい納得してもらえます。

東灘区
男性 16歳 学生

先日長田に行った時、姫路出身の友達が「きれいな街やな」と言った。地震で全部つぶれたからだ、ということを教えた。

僕は神戸出身なので小学校でそういう事を習ったが、被害がほぼ神戸市内に集中していたこともあるのか、同じ県内でも地震についてよく知らない人が多いと思う。

東灘区
男性 17歳 学生

現在住んでいるマンションが震災で崩れたと聞いたときに、驚くほかありませんでした。経験者の人は、そんなことも知らなかったのかというような事を言われるので、温度差を感じていました。

兵庫県神戸市
男性 16歳 学生

神戸に戻ってきて、わが子が通う小学校の子供たちの「しあわせ運べるように」の全員合唱に驚いた。10年経っても20年経っても、神戸の人たちの「元年」がこの震災の日であるように感じる。

震災モニュメントは経験者にとっては記憶を呼び起こす大切なものであろうけれども未経験者には失礼ながら震災が原因なのかただの経年劣化なのか区別がつきにくいものもある。後世に伝えていくに本当に必要なものを選別することが大事かと思う。

これは、神戸メモリアルパークを訪れたときの感想です。触れることのできない曲がったフェンス、歩くことのできないゆがんだ石畳を残すより、整備された美しい街並みを歩くことができるほうがよい。記憶の保管場所は各人の胸の中、呼び起こす材料は写真や映像で充分だと思う。

当時:神奈川県横浜市
現在:西区
女性 54歳 主婦

友人や職場の人と話をしているときに、「あれは震災前やったから…」「あれは震災後やから…」と言う言葉をよく耳にした。私の中に震災が年月の基準になっておらず、ギャップを感じた。

また、震災体験がないことで「経験した人にしかわからへんわ」「あの時の大変さはわからんやろな」と言われることも多かった。神戸で生まれ育った私たち家族だが、震災を経験しなかったことがまるで罪のように感じることがあった。

当時:愛媛県今治市
現在:兵庫区
女性 51歳 介護支援専門員

会話の中で「震災後で…」とか「震災前は…」という表現を使われると、その当時を知らない私は、ちょっとドキっとします。

経験していないだけに、その話はどう対応したらいいのか、困ることがあります。

もう既に「過去の話」としてみんなサラッと話しますが、どうしていいものか、困ります。

当時:栃木県
現在:中央区
女性 38歳 パート

この記事を
シェアする


TOP


HOME