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震災を経験していない方に聞きました
Q.神戸のまちや人などに、震災の影響を感じることはありますか?

あまり感じない。むしろ災害の話題を避けているようにも感じる。
こちらから話を聞いてみると答えてくれるが、20年間の内で忘れてしまったことも多かったりするようだ。
はっきりとトラウマを抱えている人は少ないが、震災以降なんとなく疎遠になってしまった友人のことを思い出したり、「あんなに大量の死体を見たのはあの時だけだ」としみじみと語ったり、「今でも思い出すと、なぜだか涙が出てくる」と涙ぐみながら話したりする様子を見ていると、阪神・淡路大震災で生まれた心のダメージが本当に解決したのだろうかとふと疑問に思うことが有る。

大阪府堺市
男性 17歳 高校生

特に大きかった長田の整備のされようが、震災後にできた街なのだな、と感じます。
あとは特に感じません。もともと「神戸」=「都会」のイメージしかないので、その洗練された様子が今の街なのだな、としか思えません。

中央区
女性 38歳 パート

空き地には震災の影響を感じる
震災20年の写真を見ていて 板宿の商店街の入り口に踏み切りがあり驚いた。東須磨から板宿への線路沿いの道は急に広くなり不思議だなと思っていたがなぞが解けた。
新長田は震災後しか知らないが たぶんかなり苦労しているのだろうと想像できる。

須磨区
男性 57歳 会社員

近所の空き地や、被害がひどすぎてきれいさっぱり住宅地になってしまったところは少し胸が痛みます。下町育ちの自分にはやはり不自然な風景なので。
ただ、地元の被災がひどくて新しい家が建っているところは同世代の友人がたくさん住んでいて、コミュニティが継続しているのでうれしいです。それは震災がなかったらなかったことかも、と思います。
自分自身への影響としては、ヴィッセルの試合にいくと必ず神戸讃歌を歌うので、ちょっとうるっとしてしまいます。
きれいな港の風景をみていると、これからもずっと、100万回でも見たいなあ!と思います。普通の風景がうれしい。

兵庫区
女性 38歳 事務

神戸の街を歩いていても、とくに若い人は、「震災があったこと」さえ知らない方が増えていると思う。残っている「震災遺構」として「神戸港メモリアルパーク」や「人と未来防災センター」は絶対に後世に残すべきだと思う。

西区
男性 41歳 会社員

東遊園地によく行くことがあり、5時46分で止まったままの時計が保管されているのを見ると自然と震災を意識します。

北区
女性 21歳 学生

神戸の中心地などは、今では震災前と変わらないように復興してますが、所々に残る傷跡などを見たり、明らかに区画整理がなされた街を見ると、震災の影響を感じてしまいます。人々に関しては、震災を知らない若い世代が増えたし、当時を知るお年寄りの方なども亡くなられて来ているなかで、常々風化させてはいけないと思います。

東灘区
女性 40歳 音楽家(声楽)

メリケンパークの辺りに、震災の爪跡を当時の状態のまま保存した区域があったと思います。その惨状を目にすると、地震の凄まじさが伝わってきます。

東灘区
男性 16歳 高校生

箱モノがかなり増えてきたような気がする。これからは住みよい洒落た神戸を更に進めるべく、自然との調和、ソフト面での防災に重心を移すのが良いのではと思う。

垂水区
男性 65歳 年金生活者

港湾産業が震災前より衰退し、三宮周辺も以前よりも元気がないように感じられる。

長田区
男性 61歳 会社員

元町辺りに行くと、「ここもこんなに復興したのか」という人がいる。

宇治市(学校は東灘区)
男性 16歳 学生

神戸に戻ってきたころは震災の経験をよく耳にし、影響を感じることがあった。
また、東日本大震災の頃に阪神・淡路大震災の経験が甦った方もいた。特に家族や大切な方を亡くされた方は心に大きな傷が刻まれている。復興住宅でお住まいの方などは元の所に戻りたくても戻れず、心を閉ざしたままの方もおられる。震災の影響とは言えないかもしれないが、高齢の方が震災を引きずっておられる方が多いように感じる。

兵庫区
女性 51歳 介護支援専門員

東日本大震災が起こった日、東灘区にある卓球場にいた。
練習を終えて受付に向かうと、受付のおばちゃんが東北や関東地方で大変な地震があったことを伝えてくれた。
そして、「むこうに親戚や知り合いはいないか」などと声を掛けてくださり、私のまわりの人たちの身を案じてくれた。
その真剣に身を案じる表情・人情に、阪神・淡路大震災の経験を強く感じた。

灘区
女性 24歳 大学院生

10年前に神戸に転入しましたが、子供の頃に見た建物の場所が更地になっているのを見ると震災の影響を感じてしまいました。今では震災前の建物とは違いますが、更地ではないので少し気持ちは楽です。

兵庫区
女性 53歳 パートタイマー

震災当時は得意先や流通業が大変だったが、意外と早期に復興した様に感じる。また、市内からは生産工場がメッキリ減った、郊外への移転や閉鎖など生産工場が無くなった。震災後の産業構造が変わった。

東灘区魚崎南町
男性 51歳 電器メーカー営業

長田のきれいな街並みに震災の影響を感じる。

東灘区
男性 17歳 学生

長田とか、整備されてきれいな町並みにはなったが、以前のような活気あふれた街で無くなったような気がする。

須磨区
男性 57歳 会社員

三ノ宮などを歩くと街が新しくて綺麗だなと感じると共に、ここも地震で被害があったのかなと思うことが良くあります。三ノ宮では例えばミント神戸など、そして今住んでいる六甲道の灘区役所周辺や、賃貸住宅でも。
また、3.11のときに阪神淡路の経験者から、親戚を失った話や、被災時の話を聞く機会がありました。その中では、被災時にとても役立つのは自衛隊であり、銀行など大企業の社宅への直接支援であり、体験したことが人の心の中に根付いて、物の見方に影響しているんだなと感じます。

灘区
男性 41歳 会社員

最近はもう影響はない様な気がします。

灘区篠原中町
男性 66歳 アルバイト

高校生が暮らしている中ではあまり感じません。震災から二十年たったということがよく強調されていると思います。

男性

ルミナリエが近づくと、市役所と東遊園地の間の道にどうしてよいのかわからずに運んできたご遺体をならべていた話、その場所にテキ屋が出店してゴミだらけになるルミナリエの空しさ、腹ただしさについて話します。

中央区
女性 36歳 自営業

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